瑞応山 大報恩寺

京都庭めぐりの旅 ~ 瑞応山 大報恩寺

ランチの後は、鳥岩楼から西へ650mの所にある大報恩寺さん。


庭めぐりと言いながら今回のお目当ては庭ではなく、千本釈迦堂の愛称で親しまれている本堂で、長い間見てみたかったものだけに感慨もひとしお。千本と言うのは垂木の数が由来なんだそうで、千手観音のように「数多い」を表しているだけなのかと思ったら、本当に千本あるそうです。

洛中の数ある古い建物の中でも、最も古いのがこの千本釈迦堂で、 昭和26年の修理時に発見された棟札から鎌倉時代の1227年上棟されたことが分かっています。応仁・文明の乱で焼け野原になった洛中にあって、こうして現存しているのはまさに奇蹟としか言いようがなく、禅寺ばかりの京都ではとても貴重なお堂で、昭和27年に国宝に指定されています。

京都庭めぐりの旅 ~ 瑞応山 大報恩寺

お寺の境内は想像以上に狭く、そこに佇むお堂はちょっと窮屈そうながら、非常に立派なもので感動しました。新和様と呼ばれる様式を持つこのお堂は、蔀戸で覆われた壁面や、密な垂木などから繊細さを感じつつも、桁行き5軒、梁間6間のスケールや、太い柱によって堂々とした力強さも感じます。それでいて比較的緩やかで広い桧皮葺の屋根からはおおらかさや優しさもあって、まさにこれは「和」の集大成なのではないか…と思ったほど。

京都庭めぐりの旅 ~ 瑞応山 大報恩寺

「和」でイメージするのは侘び寂びなどから「禅」や「茶」に近いものを思い浮かべる方が多いのではないかと思いますが、それらはあえて目指すべき道義の、ある意味作られた世界であって、個人的には「和」そのものとはちょっと違うんじゃないかなと思っています。本来はもっと明るくて華もあって…つまり「はんなり」という言葉に言い表せられるような世界のような気がしています。

繊細ながらも力強く、それでいて優しくておおらか…に感じるこのお堂は、まさに「和」そのものに近い印象を受けると同時に、それらは人々が自然に対して感じてきた感覚なのではないか、お寺の設計としてこれはこの上なく素晴らしいものなんじゃないか、そんな風に感じました。

京都庭めぐりの旅 ~ 瑞応山 大報恩寺

戦乱にしても重要な歴史には違いないのですが、このような建物がほかになくなってしまったのは本当に残念なことです。
京都には個人的に3つほど要望があります。ひとつはこの千本釈迦堂に相応しい敷地などの環境を用意してあげること。2つめは奈良のように大極殿を復元する必要はありませんが、ひとつも残っていない寝殿造をどこかに復元して欲しいこと。そして3つ目は天皇陛下に戻ってきていただくことです。別に政治的な意味ではなく、京都は陛下あっての町だと思いますし、今お住まいの皇居は元は江戸城、つまり軍事施設なわけですからなんとも似つかわしくありません。

話が脱線しましたが、庭めぐりと言いながら、こうして素晴らしいお堂を見てしまうと、また次々お堂を見てみたくなりますね。生駒の長弓寺や松山の太山寺、大分の富貴寺など、皆遠くて困ります。


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