尾道の締めはやはりここ、文化財の宝庫浄土寺です。
福山の明王院と並ぶ立派な国宝本堂を擁する浄土寺、五重塔こそありませんが、14世紀前半に建てられた多宝塔(国宝)や阿弥陀堂(重文)、山門(重文)などの建築群は見事なものです。
でも、浄土寺の楽しみはこれだけではありません。じつは今回は2度目の訪問ですが、前回はたまたまそれが修復工事のために見ることができず、トボトボとお寺を後にしたものでした。
今回も時間が押して危ういところでしたが、なんとか見ることができました。まずは方丈庭園です。
資料写真を見ると、以前は白砂敷ではなかったようですが、ここでは野点などイベントが行われるそうです。そして方丈をさらに進むと、いわゆる浄土寺庭園と称される築山泉水庭が登場。
ここは江戸初期に作られ、竣工当初を描いた古絵図から雪舟13代の孫、長谷川千柳による作庭と判明しています。近年低木が繁り、石組などが隠れてしまっていたところ、1999年にこの絵図を元に築山を修復し、石を立て直して往年の姿が復元されたそうです。
それから約20年、復元当時の写真と比べて見ると、樹木の成長によって相対的に築山の存在感が弱くなってきているのがちょっと気になり、鳥取の観音院庭園が山の稜線をうまく維持していたのを思い出します。
一見枯山水庭園に見えますが、細いながらも水の流れがあるそうで、我が家の拙庭と一緒。背後にある茶室は「露滴庵」と呼ばれ、もともと伏見城の織部屋敷にあったものを本願寺など幾度かの移築を経て、この地に収まったそうです。なかなか風情があるそうで重要文化財ですが、残念ながら非公開。
方丈から客殿に進んでいくと、このような中庭も。反橋がなんともおしゃれ。エアコンはいささか無粋ではありますが、この文化財が今でも生き続けている証でもあります。
そしてそのまま庫裏へと移動、江戸時代の1719年建立でちょうど300年目ということになります。ここも重要文化財。
張り巡らされた力強い梁と柱による空間が圧巻です。中央の大黒柱は本堂の前に植えられていた松が使われているとか。この奥にはとても楽しげな設備がありました。
ぐるっと並んだかまどが見事、炊事風景が目に浮かびます。まるで展示物のように美しく保たれていますが、これらは今でも使われているそうです。
浄土寺のような生きた文化が身近にあると、きっと意識の根底に大切な何かが育つような気がして、とても羨ましく思います。
この日は海産物をお安くいただきたいと、宿は愛媛県大島の民宿を予約、愛すべき町「尾道」後にし、瀬戸内海に沈みゆく夕日を眺めながらパトカー行き交うしまなみ海道を渡って行きました。