旅の3日目は今治市の大島から岩国まで行く長い1日となりました。
瀬戸内海に浮かぶ岡村島から呉市まで5つの島を結んでいるのが「とびしま海道」です。以前広島までちょくちょくクルマでいっていた頃は、何度かここを通るルートを検討したもののかなわず、今回やっと!というわけです。
尾道から呉までクルマで島伝いに行こうにも、大三島から岡村島の間だけは橋でつながっておらず、フェリーを利用ことになります。古くから海運の盛んだった瀬戸内海ですから、1箇所くらい船に乗るのもゆっくり海を眺められていいんですが、1日わずか5便なのがちょっとネックかも。
この日も9時40分発に乗らないと次は14時35分までないとあって、朝8時には宿を出発、多々羅大橋をながめつつここだけは寄っておこうと大山祇神社へ。
大山祇神社は古代から武士達が武運を願って武具を奉納したことから、国宝や重文指定の4割もの甲冑があつまるそうです。
他にも平重盛が奉納したされる螺鈿飾太刀など、平家びいきにはたまらないお宝もあるのですが、何しろ船に乗り遅れたらこの日の予定が全てパーになるプレッシャーから、本殿へのお参りと、再建間もない総門を鑑賞するにとどまりました。
小さな建物がポツンと建っているだけの宗方港についたのは出発の20分前くらい、自分を含めて最終的にクルマは3台が乗船しました。岡村港まで約23分程度の船旅ですが、普段なかなか乗らないので、それだけでテンション上がります。
おまけにこの日は快晴で、瀬戸内らしい美しい景色と穏やかな波でじつにいい気分。
岡村港からはいよいよ「とびしま海道」となります。画像は島の南端にある観音崎、とびしま海道の島々には、いたるところにこんなビーチがあります。
奥の島はこのあと訪れる大崎下島の御手洗の街並み、千砂子波止(ちさごはと)の高灯籠が 確認できます。岡村島は愛媛県ですが、大崎下島は広島県の呉市になります。
大崎下島の御手洗ではまず山を登って「歴史の見える丘公園展望台」へと向かいます。途中の坂道が急なだけでなく幅も狭いため、対向車が来ないかヒヤヒヤですが、眺めはまさに絶景!眼下に広がる街並みも美しく見えます。
千砂子波止は19世紀に広島藩が当時の技術の粋をあつめた波止場で、ほぼ当時のまま現存しています。残念ながら高燈籠は1991年の台風により倒壊してしまったそうで、今あるものは翌年に再建されたものだそうです。
御手洗は17世紀中頃より風待ち潮待ちの港町として整備され、北前船などの廻船ルートが確立されると急速に発展、汽船や鉄道が現れる明治期くらいまで栄えました。1994年に重要伝統的建造物群保存地区として指定されましたが、当時の街並みと、海運の中継地としての性格を色濃く残しているのが特徴です。
このあたりは当時の花街で、ここは広島藩公認の待合茶屋「若胡子屋」跡。当時御手洗に4軒あったと言われる茶屋では唯一現存し、最も大きかったそうで、最盛期には100人もの遊女を抱えていたとか。現在は資料館となっています。
風待ち潮待ちの意義がなくなってからも、港町としての余韻は昭和初期まで残っていたそうで、乙女座と呼ばれる劇場など、洋風のモダン建築もいくつか残っています。
御手洗では名物あなご飯が食べられるのを楽しみにしてきたのですが、定休日でもないのにお店はCLOSE。ダメだった時のための第二候補も同様で、脱走犯対策だったんでしょうか、営業時間などバッチリ調べてきたのにガッカリです。仕方なく開いていたお店でラーメンをすすることに。
食後は御手洗天満宮へ、菅原道真が太宰府へ左遷されたときに立ち寄り、手を洗ったという井戸があります。「カンコー学生服」の「カンコー」ってもしや「菅公」のこと?などと思いながら手を洗ってきましたが、後で調べると正解でした。
最後におみやげ屋さんで買ったのがこれ「大長レモンの皮で作った 甘ずっぱ~いしっとりレモン」です。この辺りはレモン栽培が有名で、最近売り出しが盛んですが、帰って食べて見たら実に美味しい!もっと買っておけばよかった!
御手洗を後にして、ふたたびとびしま海道を呉を目指してドライブ。しまなみ海道が専用自動車道でいまひとつ海が近くないのに対して、こちらは橋以外は昔からの道とあって常に海を感じながら走れます。どちらも自転車乗りのメッカのようですが、自転車ならなおさらこちらの方が楽しいのではないでしょうか。
それなりに時間に余裕を持って訪れましたつもりでしたが、もっともっとユックリ訪れたいルートです。宿もとびしま海道沿いにすればよかったかなとちょっと後悔。