京都庭めぐりの旅 ~ 桂離宮

桂離宮は今回のメインイベントでありながら、宿題を残すことになってしまいました。


日本庭園の最高峰として、一度は訪れなければと勇んで乗り込んだ桂離宮ではあったんですが、正直なところ現時点での自分の評価としてはちょっと残念な感じとなってしまいました。もちろん個人の見方ですし決して悪いことはありませんが、期待が大き過ぎたんでしょうか、これはどうしたものかと考えているうちにブログ掲載がすっかり延び延びに。

京都庭めぐりの旅 ~ 桂離宮

じつは桂離宮の庭園からは自然に対する畏敬の念があまり感じられず、他の庭園で得られるような清々しさよりも、むしろ窮屈なものを感じてしまいました。眺めることによってヒトが雄大な自然や時空と対峙するような感覚となって自分を見つめ直せる、あるいは何かを得られると言うよりも、単純に庭園そのものを楽しむテーマパークのような趣に感じられたわけです。

京都庭めぐりの旅 ~ 桂離宮

ここは松琴亭の手前、州浜から天橋立をのぞむ景色で、このあたりは滝の音も聞こえるし非常に素晴らしく、ときめきました。また、下の画像は松琴亭から御殿方向を見た景色ですが、写真ではわかりづらいものの、背後に山が見えてこちらもなかなかのものです。

京都庭めぐりの旅 ~ 桂離宮

ただ、それ以外はなんと言うか、いまひとつ印象に残らず、良さよりも作為的な箇所が鼻につくといったところもありました。例えば、御幸道の小石が敷き詰められた「あられこぼし」は、道の断面が蒲鉾状の円弧を描いているだけでなく、小石1個1個が平面を上にしているそうです。この道じたいはとても美しいのですが、ちょっとやりすぎな感じがしなくもなく、ここまでしなくとも美しい苑路はあると思うわけです。やりすぎといえば各建築には凝った細部意匠が数多くあり、個々には大変素晴らしいものだとは思うものの、こだわり過ぎと言うか「細部のこだわりこそが日本文化の美点であり、桂離宮のウリ」みたいな論調が、かえって印象として良くなかったのかも知れません。

京都庭めぐりの旅 ~ 桂離宮

また、古書院の入口は、真の飛び石とともにとても趣があると思いますが、それだけにその横にある臣下控所や、表門からの通路に施されたちょっとあからさまな遠近法も、作為を感じていただけません。個人的に一番好きではなかったのが、亀の尾にある住吉の松で、姿こそきれいですが「先の景色を遮る事で期待感を抱かせる」とはまったく大きなお世話のように感じます。これらは初めて来た方にしか通じない仕掛けに過ぎず、どうにも作庭者の影がチラついてしまって、もっと自由な雰囲気が欲しかったところです。

京都庭めぐりの旅 ~ 桂離宮

桂離宮の庭園は、本来舟で巡るもののようですので、1度歩いて回ったくらいでは判断はできないと思いますが、これらの作為的なものたちが窮屈な印象に結びついたのかも知れません。もしくは皇宮警察の方がピッタリついていたからかも。ただ、全体を通して見え隠れする違和感は、桂離宮が幾度もの改装を経てきたことによるものでしょうか。周辺の環境も大きく変わっているそうですし、創建時の古書院しかなかった頃の桂離宮を調べてみたくなりました。次回までの宿題ですが、その前に修学院離宮に行ってみたいですね。

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