東福寺の重森三玲

東福寺の重森三玲

東福寺の伽藍に引き続いて、重森三玲が手掛けた庭の数々を見ていきます。


法堂の北にある方丈では、重森三玲の初期の作品を見ることができます。本当は昨年4月に重森三玲庭園美術館と一緒に訪れたかったのですが、雨にしてやられ、2度目の正直というわけです。

東福寺の重森三玲

ここでは2つの庭を取り上げようと思いますが、まず南側のお庭。渡り廊下から見える上の画像の眺めは実に素晴らしく、横たえられた巨大な石によって、大きな流れと、広大な奥行きをダイナミックに感じさせてくれます。当初は奥の築山と、この石組みの配置が逆の予定だったそうですが、寺側から松の木を残して欲しいとの要望があり、この配置になったそうです。そのおかげでこの角度から見ることができました。

東福寺の重森三玲

方丈正面に回り込んで眺めてみても、まるで海中から飛び出してきたかのような屹立した石の勢いが素晴らしく、ムダな石はひとつもありません。重森氏はこの石たちにかなりインスピレーションを刺激されたのではないでしょうか。計算されたものか偶然かわかりませんが、背後の白壁の高さとの関係も絶妙です。荒々しさと気高さを併せ持つこの庭は、禅寺はもちろん、武家の庭にも適しているんじゃないかという気がします。

東福寺の重森三玲

所変わって、方丈北側にある市松の庭です。「永遠のモダン」という重森氏自ら語ったとされるコピーと一緒に、様々な本でも見かける有名な庭なんですが、今の自分にはもうひとつ好きになれません。

東福寺の重森三玲

自然にはあり得ない幾何学形態を庭に持ち込むのはある意味西洋的な発想で、それがよい悪いと言うよりも、思想が違うものだと思うのです。当時としては斬新な意匠だったかもしれませんが、今にしてみれば南の庭の方がよほど普遍性が高く永遠の芸術に感じられます。しかも、市松模様のグラデーションじたい、もうひとつ狙い通りにできていないのではないかという気もします。

東福寺の重森三玲

ただ、こういった意匠は外国人にはウケるかも知れません。西洋のエッセンスを取り入れて外国人による評価が高まり、世界の○○…などともてはやされる例は数多くあると思いますが、伝統芸術の側面を持ったものに関しては、そういったことに無関心なくらいの姿勢も大切にしてほしいところです。

東福寺の重森三玲

重森三玲の庭から、意匠、つまりグラフィックを強く感じてしまうのは、彼が「日本庭園史図鑑」を作った学者であり、つい「鎌倉風の庭に」とか「室町様式を取り入れて」など、様式から入ってしまうからではないでしょうか。 古建築の復元において、西岡棟梁と学者が揉めたように、庭と大地とのつながりを強烈に感じる古の作庭家とは、そもそものアプローチが違っているんじゃないかという気がしてなりません。

東福寺の重森三玲

東福寺の塔頭のひとつ、霊雲院の九山八海の庭の雲のようなライン(上の画像右側)など、こういった手法は重森作品に数多く見られますが、その曲線に自然らしい気勢はありません。もしこれに俵屋宗達の筆運びのごとく気勢ある曲率を取り入れていたならば、かなり違ったものになっていたのではないでしょうか。重森三玲は素晴らしい作庭家ですが、学者でもあるため、庭園界の酒井抱一ではあり得ても、やはり俵屋宗達にはなり得なかったのか…そんな風に思います。

今後も庭をみていくうちに、コロッと考えが変わってしまうかもしれませんが、そんな庭に出逢えるのもまた楽しみです。

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