怪しい輸入業者から、また怪しいお遍路さんにもどって古刹巡礼の旅を続けます。
高台寺から美しい庭園を続けて見たいなら、智積院あたりがいいけれど、両足院の特別公開に釣られて建仁寺を訪れることにしました。その前に京都の代表的な景観である「街並の奥にたたずむ八坂の塔」を見てから行きました。
祇園から高台寺を通って二寧坂、清水寺とゴールデンコースを進むと、ついこの光景を見逃してしまいます。現在の塔は室町時代の1440年に再建されたものですが、霊応山法観寺は奈良時代からあったと言われ、塔も創建時代の心礎が残っているそうです。スグ隣に邸宅を構えていた平家の公達もきっと眺めていたことでしょう。
さて、建仁寺と言えば俵屋宗達の風神雷神図屏風です。戦火のおかげで見るべき建築が決して多くなくても、優れた庭園やら芸術などがこうして数多く息づいているのは、やはり長年の間都として栄えてきた京都の底力でしょう。ただ、風神雷神図屏風の本物は京都国立博物館に寄託されており、お寺にあるのはレプリカです。しかも最初から建仁寺所有だったわけではなく、妙光寺のものだったらしいんですが、ゆかりの寺として訪ねてみるのも悪くありません。ほかに力強い筆運びが素晴らしい海北友松の「竹林七賢図」も良い作品です。
建仁寺の代表的な光景は2つあって、ひとつは1枚目の画像の「潮音庭越しに見る風神雷神図屏風キラリ」、もうひとつは「大雄苑越しに見る法堂ドーン」 …なのですが、法堂ドーンの方は方丈の屋根葺き替え工事のために大雄苑は資材置き場になっておりました。ウェブサイトに書かれていたので承知してはいたものの、ちょっと残念。
建仁寺にはまだ○△□乃庭と言うのがあって、高台寺のお庭の手入れもされている北山氏が「○△□は庭の基本図形」と仰って作庭されたそうですが、どうなんでしょう、幾何学形態は日本の庭の基本図形にはならないと言うのが自分の考えです。また庭に宇宙を求める必要性も感じません。禅寺って何と言うか教義を尊いものにしようと言う意図からか、ちょっと大げさにしすぎる傾向を感じることがありますよね。
次に、特別公開の塔頭「両足院」を訪れます。塔頭ってのは割合どこも風情がありますね。ここでは若冲の「雪梅雄鶏図」と、等伯の「竹林七賢図」「水辺童子図」、そしてを堪能しました。
最後にもう一カ所、建仁寺では見ておくべきものがあります。敷地南端にある勅使門です。この門は平重盛(あるいは教盛)の屋敷の門を移築したと伝えられ、扉に矢の跡があることから「矢の根門」とか「矢立門」と呼ばれているものです。六波羅の平家邸宅群の隣に位置する建仁寺ですから、平家関連もひとつは見ておかないといけません。さて、朝8時半から歩きっぱなしですしそろそろお腹が空いてきました。