寂光院で建礼門院を偲ぶ

坂本で給油してから、湖西道路、レインボーロードを経由して京都大原に向かった。

目的地は寂光院である。前回、平家滅亡の地壇ノ浦を訪れてからと言うもの、なんとなく気分的に落ち着かないところがあり、はやく寂光院に訪れることで、自分の中での平家物語もまとめたいという気持があった。

寂光院は、壇ノ浦の戦いで平家一門の者とともに入水するも、源氏方の兵の熊手にかかって引き上げられてしまい、京に戻った後、東山の長楽寺で得度した建礼門院徳子が隠棲したところ。我が子安徳帝が忘れられず、朝に夕に冥福を祈っていたと言う。

清盛の娘として高倉帝の中宮となり、国母としてあおがれながら、その後転げ落ちるように時代の流れに翻弄され、生きながらにして六道輪廻を経験したとされる彼女は、ここで自らの運命をどう受け入れたのだろうか。また、後白河法皇をどんな気持で迎えたのだろう。その辛苦はあまりに想像を絶したところにあるが、この寂光院の素朴で美しい自然がすこしでも慰めになっていたらと思う。

いにしへも夢になりにし事なれば柴のあみ戸もひさしからじな

と詠んだ数年後の1191年、建礼門院はこの地で静かに35年の生涯を閉じたと言われている。

ここの本堂は、平成12年の5月に発生した火災により焼失。その後再建され、平成16年に完成されたもの。火災原因は放火と言われているが、ほんとうに馬鹿な人間がいるものだ。

心字池のわきにある松、千年姫小松は樹齢千年と言われ、それこそ建礼門院の悲しみをも見守ってきたものだが、その火災によって痛みが激しくなり、ついには枯れ果てたと言う。

それにしても誤算はその天気だった。祖母の都合により、予定を変更した2日前までこの日の天気は晴れのはずだった。またWeatherNewsサイトの紅葉Ch.ではまさに22日が見頃の日とされており、しかも平日で空いていると予想され、最高の紅葉鑑賞日となるはずだったのだ。

しかし、前日になって予報が曇りになってしまう。紅葉はとくに写真に撮る時など、光を通して初めて燃え、輝くのでガッカリしたけれど、また晴れになるかも知れないし、降らないだけ有り難いと思って出発した。

それがあろうことか到着してみるとしっかり雨!すっかり落胆モードになってしまった。大原と言う場所は高速のインターから遠く、決して行きやすい場所とは言えず、なかなかほかの用事のついでに足を運ぶのは難しい。

当日、京都でも南部は降らなかったらしいし、携帯で確認した天気予報でも相変わらず予報は曇りのままになっていたので、止むことを期待して2時間半も待っていたが、ついには止まずじまい。残念ではあったけれど、建礼門院さんの涙と思えば、なんとなく納得できるような気もしてきた。

ただ、寂光院のあと、すぐ隣にある建礼門院の大原西陵には足を運んだものの、すっかり体が冷えてしまい、同じく紅葉の名所である古知谷阿弥陀寺、そして坂本や比叡山、三井寺など湖西の名所に行くのは断念し、ホテルに直行することにした。湖西道路を南下し、京都東ICのあたりには雨の形跡すらなかったのが何とも皮肉なことだった。

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寂光院で建礼門院を偲ぶ」への4件のフィードバック

  1. 雨の大原は風情ですよ~。
    まぁ確かに、紅葉には(特に写真狙いの時には)つらいですが。

  2. >>堕民はん
    そーなんですよ、紅葉時期じゃなければねー。
    でも、こんな場所でも人来ますねー。日本人は回帰を求めてるんですかねー。

  3. お天気が雨だったとは残念ですね。
    でも、雨の紅葉も風情が…。
    私が京都に行ってから1週間経ってるし、市内より北にあるからキレイな紅葉が見れますね♪

  4. >>marikoどの
    晴れると思っていただけに残念倍増でした。たしかに色づきはそこそこ良かったんですけどねー。じゃ、また来週ってわけにはいかないのがツライところです。

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