いざ、壇ノ浦 その十四「みもすそ川公園」

赤間神宮から、つい先ほど通り過ぎたみもすそ川公園にもどる。

みもすそ川とは「御裾川」と書き、これまで多くの史跡を巡ってきたけれど、ズバリ、壇ノ浦古戦場跡はどこかと言えばここになる。

大河ドラマで「義経」をやった影響か、最近再整備されたような雰囲気で、この義経と知盛像や石碑なども新しい。道路を挟んで反対側にある関門トンネル人道入り口の駐車場にクルマを停めたが、もう少しスペースは欲しいところ。先帝祭のときなどは全く足りないのではなかろうか。

さて壇ノ浦の合戦だが、現在ではその勝敗を決めたのは潮の流れと言うよりも、義経の当時卑劣とされていた非戦闘員への攻撃と、源氏方に子息を人質にされていた阿波重能の寝返りによる作戦漏洩にあるとされているが、平家を知れば知るほど、この幕切れは残念でならない。

教経や知盛をはじめ多くの平家のものが入水するが、なかでも二位尼時子のそれは壮絶だ。8歳の安徳天皇を抱き「今ぞ知る みもすそ川の 御ながれ 波の下にも みやこありとは」と身を投げるのだが、安徳帝はもちろん時子もおそらく捕らえられても命まで奪われる事は無かろう。

それでも、これまでの後白河法皇の散々な仕打ちへの報復として玉体と三種の神器を海に沈め一矢を報いようとするのである。合戦の目的のなかで、こと三種の神器奪還に限れば、義経は失敗し、平家は勝ったのだとも言える。

さて、この公園では「源平合戦絵巻」という紙芝居を無料で見る事ができる。人が集まればはじめてくれるが、これがまた紙芝居と侮るなかれ、現地で語られる事がよほど効果的なのか、水夫、舵取りを攻撃された知盛が「義経、卑怯なりぃ!」と言えば猛然と怒りが込み上げるし、「見るべきものは見つ、今は自害せん」と知盛が錨を巻き付けて入水するとき「無念!」と聞けばなんだか熱いものがこみ上げてきて抑えるのが大変だった。

平家はここで滅んだが、義経と頼朝の対立がおき、平家物語の言わんとする「諸行無常」はこの後も一層深まって行く。

駐車した場所の関門トンネル人道は約780メートルの地下道が無料なのだが、平家の無念が眠る壇ノ浦の海底を歩くのはなかなか恐れ多い。
みもすそ川公園からは「平家の一杯水」に進むのが通常コースだが、相変わらず時間がなく、このあとは彦島に向かう事にした。

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いざ、壇ノ浦 その十四「みもすそ川公園」」への1件のフィードバック

  1. 下関市のみもすそ川公園の長州砲を見てきました!

    ↑みもすそ川公園の位置です。公園は海側にあるのですが、駐車場は山側の関門道入り口を使うと良さそうです。みもすそ川公園は壇ノ浦古戦場址、長州砲、馬関開港百年記念碑などがあります。中世から幕末、そして現代の関門橋や関門トンネルが交差する場ですね。1.あの

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