いざ、壇ノ浦 その十三「赤間神宮」

さていよいよ本州に戻って、平家巡礼地Sクラス級の赤間神宮にお参り。

二位殿やがていだき奉り「浪のしたにも都のさぶらふぞ」となぐさめたてまつって ちひろの底へぞいり給ふ。悲哉 無常の春の風 忽に花の御すがたをちらし なさけなきかな 分段のあらき浪 玉躰をしづめたてまつる。

門司から国道3号線よりも走りやすく、見晴しのいい国道199&198号線を通り、門司港まで戻る。赤間神宮は海峡を挟んだスグ反対側にあるのだが、門司港から関門トンネルを経由すると、そのアプローチの分だけ遠くに出てしまう。トンネル出口からUターンをするようにして戻ると、みもすそ川公園に出るが、駐車場が逆サイドのため、赤間神宮から訪れる事にした。

赤間神宮は、8歳にして壇ノ浦に崩じた安徳天皇を祭神とし、その水天門は安徳天皇が行ったであろう浪の下の都「竜宮」をイメージして造られているという。

建久2(1191)年、勅命により阿弥陀寺境内に御影堂が建立されたのが創祀といわれ、明治の神仏分離で天皇社となるまでは、安徳天皇御影堂と呼ばれていた。明治8年に赤間宮と改称し、さらに昭和15年官幣大社に昇格とともに赤間神宮となった。社殿は第二次大戦により消失し、昭和40年に再建されたもの。

今日の境内は何やら祭事があるらしくけっこうな混雑で、じっくり拝むと言う雰囲気ではなかったものの、地元で愛されている様子は嬉しい事だし、平家最後の地を代表するに十分な内容に満足。先帝祭も宮島の清盛祭同様是非とも見てみたいのだが、何分ゴールデンウィークの真っ最中の開催だし、人ごみ嫌いとしてはなかなか難しいところ。

ここではお土産としてなかなか手に入らない「平家伝承地総覧」や「おんなたちの源平恋絵巻」を購入した。


七盛塚手前にある芳一堂。小泉八雲の「怪談」でおなじみの「耳なし芳一」の像が奉られているが、耳が全然ないと言うよりも柔道をしすぎたような感じ?

平家一門を祀る七盛塚。社殿側と違ってひっそりとしていたが、お香は絶えない風だった。前列右から有盛・清経・資盛・教経・経盛・知盛・教盛。後列は家長・忠光・景経・景俊・盛継、さらに後ろには忠房・二位尼時子の墓碑がある。

お隣にある安徳天皇陵。ひっそりと壇ノ浦の海流を見守っている。

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