いざ、壇ノ浦 その十五「清盛塚」

みもすそ川公園の次に訪れた彦島の清盛塚は、その所在地がわからずに大変だった。



平家最後の砦の地とされる彦島は、みもすそ川公園から下関駅を挟んで反対側にある。今回は下関市のウェブサイトからPDFの観光ガイドをダウンロードし、おおいに役立たせてもらったが、清盛塚の場所だけは画像のように曖昧でなんだか良くわからない。行けば分かるだろうと思っていたのだが、近くまでは割とスンナリ行けたものの、全然分からず、停めて歩こうにもコインパーキングなどもなく、同じような場所を行ったり来たり。これでは時間がもったいないので、停めやすそうなところに置き、めぼしいと思われる山の急坂を登る。

しかし駐車場のような広場に出ただけでハズレ。物音がする方に行って地元の人に尋ねると、近い事は間違いないのだが、ちょっと曖昧。一旦下りてクルマを田ノ浦小学校脇に移動し駐車、そこにある細道を上がるが民家に行き当たるばかりでまた下りてくる。次に団地へ上がる道の脇にまた細道があるので、そこをまた登り、地元の方がいたので聞いてみると、そのまま上にあがればあると言う。小生が上がって行くのを見ていてくれて、一番上の家まで来た時に「その右脇を登って」と言うのだが、どう見ても道ではない。でも言われるままに進むとあったあった。
実は反対側にも踏み分け道があって、帰りはそっちに進んでみたのだが、結局は最初に登った道も2番目の道もここに通じていたのだった。民家の庭先に入るような感じだったので引き返したが、そのまま進めばいいだけの事であった。それにこちらの方が踏み分け道がハッキリとしている。(それでも画像のような程度)

清盛塚の脇には案内看板があって読んでみると「1183年、中納言平知盛は亡き父清盛の遺骨を携えてこの彦島に入り平家最後の砦、根緒城の築城にとりかかり、砦と定めたこの丘陵の小高い場所に納骨して墓碑を建立した。~中略~ 墓碑は永年無銘のまま荒地に放置されていたが昭和4年土着の歴史に詳しい人達の手によって清盛塚と刻まれた。」とある。
当時は湾が田ノ浦小学校のあたりまで入り込んでいたと言われ、知盛はこの丘で落ちてくる平家一門を見ていたのではないかとのこと。

清盛は遺言で「頼朝の首を跳ね我が墓前に供えよ」と言ったとされているが、今読んでいる宮尾本 平家物語ではそうではないとしている。頼朝に対する怒りは確かにあるものの、それは恩を仇で返された事ではなく「いまだに私戦にとらわれているのか」という事だったのではなかったろうか。

壇ノ浦界隈の史跡巡りはこの清盛塚でおわり。一旦下関に戻ってランチをとり、高速で姫路に向かう。よほど山登りに疲れたのか、高速のってスグ眠気が襲ってきたので、PAで仮眠。起きた頃は3時くらいだったろうか、雨が降り始め、それは次第に本降りに。清盛塚を探していた頃にこんな雨になっていたらきっと断念していたことだろう。最後まで天気が持ってくれたのは平家一門のご加護だったのだろうか。

途中宮島SAに寄って、もみじまんじゅうと、宮島大鳥居のミニチュアを買った。あと、法事の時にあなごめしを食べられなかったので、”うえの”のものではないが、あなごめし弁当をホテルで食べるために買っておいた。結局姫路の東横インに着いたのは夜8時半頃だった。

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いざ、壇ノ浦 その十五「清盛塚」」への2件のフィードバック

  1. 清盛塚は辺鄙な所にありますよねー…。
    私も事前に現地の方が書かれた地図をダウンロードして行ったのですが、途中 本当にこっちでいいの?と思いながら進みました;
    (その地図に“不安を感じても、そのまま進め!”と書いてあったので/笑)
    茂みに入る直前の民家や畑に人がいらっしゃたので、いいのかなぁ…と思いつつ。
    あなご弁当、美味しそうですね~!
    私も宮島には行ったのですが、もみじ饅頭をバラで2コ買って終了でした……;
    今度帰る時は、あなごにもありつきたいです(笑)

  2. >>どうゝねさん
    いらっしゃい。ほんとにもう少しで諦めるところでしたよ。小高い丘があそこしかないのでなんとか粘ったというわけです。今回はどうゝねさんとこ読みあさって参考にしましたよ。助かりました。
    あなごは~、宮島口の「うえの」がいいので、是非一度は行ってみてください。(白拍子姿で)

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