いざ、壇ノ浦 その十六「頼政の墓」

平家滅亡の地のあとは、この源平争いの発端ともなった以仁王の乱にまつわる場所、宇治にやってきた。

25日、開業間もない東横インの姫路駅新幹線口を朝出発し、一旦は赤穂の祖母宅へ向かう。その後龍野から山陽道に乗って東へ進み、京滋バイパスから宇治に出た。今日の天気は晴れの予報だったのだが、午後に入ってから徐々に曇り空に。これから向かう平等院では晴天の中でカッチリした写真を撮りたかっただけに残念だ。
壇ノ浦の後は、平家物語を結ぶ場所、寂光院に行きたい気分だったのだが、大原が帰りのルートから大きく外れてしまうために時間がなく、ルートから近い平等院に寄る事にした。宇治を夕方に出て、横浜町田ICを午前0時過ぎに出ればETC深夜割引が適用になるからと言う理由もある。
平等院は前回訪れてからもう10年くらい経つだろうか、駐車場の場所の関係から南門から入る事になるが、2001年にオープンした鳳翔館の関係で、随分とモダンできれいな入り口になっている。こちらから入ると、源三位頼政公の墓はスグのところにある。
1180年、以仁王を奉じて反乱に出た摂津源氏の頼政だったが、これまでの従四位から武家としては破格の従三位に昇格したのは清盛の計らいと言われている。その恩ある平家に彼はなぜ兵を挙げたのかと言えば、平家物語では、嫡男仲綱の愛馬木の下をめぐって宗盛との対立が描かれているが、実際は以仁王からの要請を断り切れなかったものとされている。

「埋もれ木の 花咲くこともなかりしに 身のなる果てはあはれなりけり」
頼政の墓は大変立派なもので、いつも供養が絶えず、この時代の武将のお墓としてはとても恵まれていると思う。頼政が実際に自害した場所と言うのは、同じ平等院の敷地内ではあるものの、墓からちょっと歩いて観音堂の裏手にあり、扇の芝と呼ばれている。しかしあろうことか、今回ここを見忘れてしまった。墓にお参りしていた時には「扇の芝も行かなくちゃ」と思っていたのだが、阿弥陀堂を見ているうちに忘れてしまったのだ。平等院はまた晴天の時にじっくり来たいので、その時までお預けか。

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