大満足だった大仙院から次の瑞峯院までは境内をちょっと歩きます。
この境内の散策も大徳寺の良さのひとつで、上の画像は奥の突き当りが芳春院、大仙院はその少し手前を右に入ります。右手は本坊、左手はこれまで進んできた高桐院などがある方で、下の画像のようになります。時代劇で使われるのも分かりますね。
こちらが本坊で、奥に見えるのが庫裡、立派なたたずまいですね。この本坊から手前側(南側)に向かって法堂、仏殿、金毛閣と続き、仏殿までは廊下で繋がっています。
こちらは途中にある三玄院。ここは古田織部や石田三成の墓所ですが非公開です。
さて、そうこうしているうちに仏堂に到着。ここは大徳寺伽藍では最後に建てられたもので、当時の豪商が寄進したそうです。これと言ってどうということはないですが、存在感の薄さは特筆もの。
その原因のひとつかと思われるのがお隣にある金毛閣です。
千利休が自身の木造を2階に置いたために、その下を潜らせるのかと秀吉の怒りを買い、切腹が命じられたとは有名なエピソード。そんな単純ではない背景があったことは明白ですが、「木像、置くなよ…と言うか、作るなよ」と思ってみたり。
この金毛閣は当初資金不足のため1階のみで工事が中止となり、60年を経た後に利休が完成させたと言います。シンプルな1階に比べてきらびやかな2階はそのせいでしょうか。金毛閣の額の題字は、本阿弥光悦、近衛信尹とともに寛永の三筆と呼ばれた松花堂昭乗に寄るもの。書は中々難しいです。
そして瑞峯院に到着しました。