厳島神社 20景

さていよいよ神社にお参り。画像いっぱいでお届けです。

厳島神社 20景

結局のところ、厳島神社へは着いた当日に加えて、翌日の朝と夕方、さらに3日目の朝まで計4回もお参りしてしまいました。初日の時が干潮だったので、満潮時も見たいと行ってみたものの、この日は曇りで夕方から雨。帰る日の3日目は島へ行く予定はなかったけれど、朝起きてみたら天気がよかったので、慌てて支度、船に飛び乗ったと言う感じ。やっぱり好きなんですね、この神社とこの島が。自分が高揚しているのが分かります。

ブログでは「清盛が造った、清盛が造った」と言ってますが、もともとの創建は推古天皇即位の年である593年とされています。1168年、清盛によってほぼ現在の形になりました。その後2度の火災に遭い、現在の本社本殿は1571年、客神社は1241年の再建とされました。それでも清盛時代の面影を色濃く残していると言われています。
上の画像は「最も大鳥居が美しく見える」とされている東回廊からの眺めで、川瀬巴水の版画にも見られる構図。3日目に撮ったものですが、初日の干潮時には下の画像のような感じでした。

厳島神社 20景

この角度だと、あの忌まわしい向かいの本島にある無粋な建築も見えなくていいですね。

厳島神社 20景

これが厳島神社への入り口です。平成8年に世界遺産に登録されてから、右側の「国宝厳島神社」の看板に対して「世界文化遺産」の看板が立てられました。詳しくは知らないんですが、世界遺産になるとそれなりの縛りもあろうかと思われるなか、拝観料300円はえらい安いように思いますね。台風が来るたびにてんやわんやですから500円くらいとっちゃっても…と思わなくもありません。

厳島神社 20景

これは客神社祓殿から平舞台方向を望んだもの。折上小組格天井もまた美しいですね。ここから回廊を歩いていくわけですが、回廊の総延長は275mにもなるそうです。それでも平安時代の回廊はもっと長かったとか。

厳島神社 20景

さきほどの東回廊をさらに進んで客神社祓殿を望んだところ。背後には五重塔や豊国神社が見えます。それにしても五重塔はともかく、豊国神社(千畳閣)は秀吉が1587年に戦没兵士の慰霊のために建てたものですが、この場所にこういう形のこの大きさのもの…というのはやっぱりちょっとデリカシーに欠けますね。ここが原生林のままだったらどれだけよかったことか。
祓殿の周りを囲む高欄のような板は波除けとされ、中央部が開いているのは舟で参拝した時の名残だそうです。

厳島神社 20景

祓殿から東回廊を望む。規則的な柱の配列がリズムを感じさせるとともに、そこを歩くことによって移り変わる景色の妙は、なんとも不思議な感覚です。このあたりは画像では到底伝え切れないですね。

厳島神社 20景

初日は結婚式が営まれ、巫女さんが舞っていました。いいですね、こんなところでの結婚式。でも相当のギャラリーから見られてしまうのでちょっと恥ずかしいかも。巫女さんはこうして背後から眺め、顔は見ない方が無難なようです。(失礼!)

この拝殿の先には幣殿、本殿と続きますが、165畳敷の本殿は広さ日本一と言われ、一般的な神社の本殿の100倍はあるとか。また、この本殿は一段高いところにあるため、最も水害を受けにくくはありますが、それでも床板が水によって押し上げられたときのスリ傷が柱に残っているそうです。

厳島神社 20景

祓殿から高舞台をとおして火焼前、大鳥居を望んだところ。平日の朝だったからでしょうか、このアングルで他人がまったく入らないのはなかなかないことですね。夜の雨で舞台の板や屋根が濡れているのがかえって風情を感じさせてくれます。

この高舞台では、清盛が大阪の四天王寺から移したという舞楽が演じられます。現在のものは1546年に棚守房顕によって作られたもので、当初は組立て式だったものが江戸時代初期に現在のような作り付け構造になったとされています。

厳島神社 20景

祓殿。清盛の時代には天井はなかったと言われています。

厳島神社 20景

こちらは西回廊です。こうして見ると京都の伏見稲荷のようでもありますね。西回廊は能舞台を囲むようになっているため、縁能のときは桟敷に早変わりしたそうです。

厳島神社 20景

能舞台がチラっと見えています。

厳島神社 20景

本殿の特徴的な破風の曲線。

厳島神社 20景

西回廊にかかる釣灯籠。

厳島神社 20景

厳島神社出口。以前はこちらが入り口だったとか。そのため現在の入り口屋根が切妻型であるのに対し、こちらは唐破風とちょっと豪華。

厳島神社 20景

厳島神社は出てから裏手に回っても楽しめます。これは裏手から見た天神社本殿。1556年に毛利隆元によって建てられたもので、別名連歌堂と言う。明治頃までここで連歌の会が催されていた。なかなかのたたずまいを見せる。

厳島神社 20景

桜はまだだけれど、梅が咲いていました。背後には反橋と天神社。

厳島神社 20景

これはちょうど本殿の真裏にあたる場所にある不明門。山を下りてきた神様が通るための門として神聖な場所とされ、決して開かれないそうです。

厳島神社 20景

本殿背後から大鳥居を望む。正面にあるのは揚水橋で、その右手には配流先の鬼界島から許され帰京した平康頼が神思を感謝して奉納したという康頼燈籠があります。

厳島神社 20景

これは宝蔵です。室町時代初期の造営と言われ,1588年に毛利輝元、1610年に福島正則がそれぞれ修理しています。1934(昭和9)年に現在の宝物館ができるまでは、平家納経をはじめとする神社の宝物が収蔵されていました。五角形の断面をした木材を組み合わせた校倉としては最古の建物だそうです。

厳島神社 20景

厳島神社の、そして宮島のシンボル大鳥居。本社火焼前より88間の場所に置かれ、高さは奈良の大仏とほぼ同じ16.8m、重量は約60トンで、その根元は海底に埋められているわけではなく、自身の重みだけで立っています。現在のものは平安時代から数えて8代目で、1875(明治8)年に建てられたもの。主柱は樹齢500~600年のクスノキの自然木で作られており、その建立にあたっては、巨木探しに20年近い歳月を要したとか。

4本の控柱をもつ独特の形が特徴ですが、これがつけられたのは室町時代の1547年で、それまではごく一般的な形だったそうです。

それにしても美しいですね、ずっと見ていても飽きません。ほんとうに何度でも訪れたい場所です。

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厳島神社 20景」への4件のフィードバック

  1. おかえりなさい!
    厳島神社は、こうして写真やテレビでしか見た事が無いんですが、1度は行ってみたい場所の一つですね~(^^)/

  2. 解説付きの写真を楽しんで拝見しました。
    最後に大鳥居を見たのは12年前で、砂浜を歩いて下まで行ってきました。
    その後2度ほど台風の被害にあってますが、完全に復活したのですね~
    当時の事を懐かしく思い出しました…

  3. >>まきのりさん
    まーちょっと爺ちゃん趣味のようなところがあるんですが、まあ世界遺産ですしね。
    >>れいんさん
    こういうスレスレものはおしなべて危険なんでしょうね。いまのうちに…なのかも知れません。
    >>Coloradoさん
    一昨年あたりはまだ修理してましたし、今年も一部直してました。災害はいつ来るか分からないですし、大変ですよね。

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