絵にうつし石をつくりし海山を 後の世までも目かれずや見む
武将、細川高国辞世の句です。彼の手掛けた旧秀隣寺庭園に感動し、是が非でもと思っていた北畠氏館跡庭園、やっと訪れることができました。(2019年2月13日)
三重県松阪から35km弱程度なので、鈴鹿F1のついでに…と目論んでいたものの、できるはずの酷道368号線仁柿峠バイパスがいつまで経っても開通せず、痺れを切らしていつもの帰省時に名張からアクセスすることにしました。
新大阪で嫁と分かれ、御堂筋線でなんばへ。近鉄特急で名張へ出て、そこからはレンタカーを利用します。一部狭い道があったものの爽快なドライブコースで、所要は45分程度、13時半ごろ到着しました。
庭園の入園料は300円、こちらの社務所に申し出るわけですが、伺った時は誰もおらず、こんな感じで結局入れなかった兵主大社が頭をよぎりましたが、庭園入口の門が空いていたので、あとで申し出ることに、結果としてはスタッフの方が見学途中に回収に来てくれました。
庭園に入ると、あまりの美しさに一瞬にして心を奪われてしまいました。例によって2月の花も何もない時期にもかかわらず、これだけの表情です。
写真のように池には橋がかかり半周ほど回遊できますが、元々は館より眺める池泉観賞式で、園地の北側(手前側)からの眺めに特化しています。橋も作庭当初はなかったか、別の形態だったようです。
橋の手前左側には特徴的な亀石が、橋を渡ると今度は右側に座禅石でしょうか。日当たりが絶妙で苔が輝いています。
振り向くとこちらも素晴らしい眺め。右手前の大きな石は、右手築山にあった立石が落ちてきてしまったのではないか…とも言われています。ここは旧秀隣寺庭園のような借景が見えませんが、実は正面の木の向こう側の山並みはこんな感じでした。
現在は家屋などの目隠しに木を植えてしまいましたが、本来はこのような借景が望めたのかもしれません。そんな景色をまた見られる時が来るのでしょうか。
庭園の西端にはこのような滝石組があります。あまり大袈裟なものではありませんが、旧秀隣寺庭園もそうでした。池泉の水が湧き出ているところはこことはまた別にあります。
西端から庭園を眺めたところ。スタッフの方によると、この日の翌日、庭の整備が入る予定なのだそうです。
少し進んで出島の付け根から。旧秀隣寺庭園同様高い構成力で、美しくも気高く、凛とした空気が背筋をピンと伸ばしてくれるようです。これが戦国武将の心を映し出した庭園なのでしょうか。冒頭の辞世の句が思い起こされます。
反対側から出島を望みます。素晴らしい護岸石組です。
庭園東側の石組です。中心の立石から螺旋状に各石が配置されており、これは重森三玲の光明院の元になったのではなかろうか、そんな気もしてきます。
東端から西側を望みます。
そしてZOOM、枯れ木も冬の斜光のおかげで美しく見えます。本当に来てよかったです、自分の中ではTOP10に入る庭園、なかなか来づらい場所だけれど、なんとかまた別の季節に来てみたいものです。
それに細川高国なる人物、興味が湧いてきました。大河でやってくれないだろうか。
帰りに少しだけ名松線の終点「伊勢奥津駅」に寄り道。列車の時間をあらかじめ調べていたのだけれど、ついつい庭園に長居してしまい、見損ねてしまいました。
以前はここからレンタサイクルというアクセス方法もあったそうなんですが、途中のトンネル内で事故があり、それをきっかけにとりやめになってしまったとか。もう少し地元のコミュニティバスと名松線の乗り継ぎがよければ良いのですが。