さていよいよ大徳寺の塔頭めぐりも龍源院で最後となりました。
龍源院は瑞峯院の東隣にあり、大徳寺の数ある塔頭の中でも、最も古い創建と言われており、室町時代に建てられた方丈も重要文化財に指定されています。
ここにも様々な庭が存在していて、受付から書院に進むとまず滹沱底(こだてい)があり、方丈へ進む廊下からは壷庭が見えますが、これはちょっと後回しにして、一枝担(いっしたん)と呼ばれる方丈南庭から見ていきます。
ここは昭和初期作庭の新しい庭園ですが、1枚目の画像のように、斜めから見ると大小の石組みが繰り返されて若干退屈な印象。真正面から見るとそれぞれの石の表情にバラエティが感じられますが、肝心の一番大きな石の形が鈍重な気がします。パンフレットによると、もともとこの庭には樹齢700年を超える老木「楊貴妃」が生い茂り、深紅の花を一面に咲かせていたそうですが、昭和55年に枯れてしまったとのこと。あるいはこの木が残っていれば、まったく味わいの違う庭だったのかも知れません。
ひとつ前の瑞峯院から、ちょっと残念な流れできていましたが、方丈北側の龍吟庭は素晴らしいものでした。
一枝担に比べれば小振りな石組みで構成されていますが、とても優しげで味わい深いものがあります。画像のように一面苔で覆われていますが、もともとは白川砂であったそうです。このあたりは高桐院の庭と似た経緯と言えますが、あちらがより苔の方が好ましく思えたのに対し、こちらは白川砂でも同様に見応えのあるものだったように感じられます。
龍吟庭は室町時代のもので、作庭はパンフレットによると(例によって)「相阿弥と伝えられ」となっていますが、確証はなく、むしろ龍源院の開祖である東渓宗牧禅師が有力と言われています。作庭者による「箔」などなくても素晴らしい庭で、一見の価値があります。
方丈をくるっと一周すると、また東滴壷(とうてきこ)と呼ばれる壷庭にもどってきます。
見た通りの小さな壷庭ですが、これがまた見応えのあるものでした。昭和35年作庭と新しめのこの庭は、自分の苦手なバリバリの禅宗風味ではありますが、壷庭はやはりこの緻密な構成力がキモ。また、石のたたずまいも素晴らしく、日々の観賞に堪えうる深さがあります。
こうしてひとつひとつ塔頭を回っていると、拝観料も決してばかになりませんが、庭を見るならやはり大徳寺は外せませんね。ほかに期間限定で公開する塔頭や襖絵などの美術品も数多くあるので、おりをみてまた再訪したいと思います。
さて、大徳寺南門を出たのが午後1時、頭も飽和してきましたが、なにより腹が減りましたので、ランチとしましょう。