等持院

京都庭めぐりの旅 ~ 等持院

金閣寺のあとは、「きぬかけの路」をバスで戻って等持院に向かいます。


立命館大学前までは、その先の龍安寺や仁和寺方面と比べて結構バスの本数が多いのでバンバン利用しちゃいます。
等持院は、仁和寺から衣笠山の麓に沿って龍安寺、金閣寺を結ぶ「きぬかけの路」から少し外れたところにあり、そのためか人もまばらですが、歴代足利将軍の菩提寺という由緒ある寺院です。立命館大学前のバス停からは、本来ぐるっと回ってこないといけないんですが、たまたま西側のお勝手みたいな門が空いていたので、入ってきちゃいました。

京都庭めぐりの旅 ~ 等持院

拝観受付のある庫裡から、1616年に福島正則が妙心寺海福院から移設したとされる方丈へ向かうと、突き当りででかい達磨さんに迎えられます。ここで順路に逆らって左に行けばお目当ての庭園があるんですが、達磨さんが睨むので、まずは順路通りに方丈前庭園、一見寂しげですが、秋になると紅葉が見事なんだそうですね。

京都庭めぐりの旅 ~ 等持院

続いては5代と14代を除く歴代足利将軍像と家康、夢窓疎石像を安置する霊光殿で、中は見られますが建物は現在修理中。そしていよいよ庭園です。

等持院は夢窓疎石の開山とされ、西側の芙蓉池庭園、東側の心池庭園ともに国師の作庭と言われています。なるほど国師らしい石組みが少なく、芙蓉池庭園は刈込みなど後世のものが主体を占めているものの、全体の雰囲気としては同じく国師の恵林寺に似ているような気がします。ただしウィキペディアでは、「足利尊氏が等持寺(現等持院)を菩提寺として相応しいものに大改築を行った際に、寺伝を改竄して開山を夢窓疎石とするとともに、等持院における直義と古先印元の事績を抹殺したとしている。」という説が掲載されています。

京都庭めぐりの旅 ~ 等持院

枯山水もいいですが、このような植樹を生かした池泉庭園もいいですね。ここは今回「来たい度」で上位の庭園でした。石組みに加えて智積院を思わせる刈込みの段々も見事ですが、残念ながら空模様と少しばかり時期が悪かったようです。3月に入っていますし、本来ならもう少し緑があってもよさそうなんですが、今年はつい先日まで雪が降っていましたので仕方ありません。が、むしろそんなことよりも等持院の背後にある立命館大学の不粋な校舎の方が残念です。

京都庭めぐりの旅 ~ 等持院

画像ではちょっと判りづらいですがこの庭園、本来は衣笠山を借景として庭園が構成されていたのに、この校舎によってすっかり遮られてしまいました。当時は規制する法律が未整備だったそうですが、法律などあるないに関わらず、他の一般企業やマンションならまだしも、教育機関がこのような所業を行なうとは、あまりの文化度の低さに腹立たしいを通り過ぎて情けなくなります。校舎ができたばかりの頃に比べると茶室背後の木々が伸びて、多少目立たなくなったそうですが、無理に伸ばしたためか、手入れがされていない木々のような印象が感じられます。校舎が老朽化し、改築などの話が上がる頃には、もっといい解決策が講じられるといいですね。

京都庭めぐりの旅 ~ 等持院

ところで、この芙蓉池と心字池の庭園は歩いて回ることができ、池泉式庭園をじっくりと味わえます。また、途中足利尊氏の墓も拝めます。

築山の上にある茶室は「清漣亭」と呼ばれるものですが、一段高い貴人床が設えてあって珍しい形です。本来の茶室というより庭を眺める休憩所のような趣が強かったそうですが、様々な天井の意匠が何気にオシャレ。向かいには等持院型と呼ばれる灯籠もあります。

京都庭めぐりの旅 ~ 等持院

京都庭めぐりの旅 ~ 等持院

灯籠の向こうに見える書院では庭を眺めながらお茶が頂けます。呼ばれちゃおうかなーと思いましたが先客があったのと、午前中は持つはずだった空模様がいよいよ怪しくなってきたので、今回は断念。でも、門を出たところで、ついにポツポツと来てしまい、次の仁和寺へと急ぎます。

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