いよいよ今回訪れたところを紹介していきたいと思います。
当初「1日中雨」の予報が「晴のち雨」となり、京都駅到着時は見事快晴で、取りあえず幸先のいいスタート。まずは荷物をコインロッカーに預けたいんですが、泊まる場所が(西中島)南方なので、今日中に京都駅に戻ってくる予定はなく、バスで一旦四条河原町に行って、そこのコインロッカーを利用することに。
四条河原町から再びバスに乗って向かったのは龍安寺です。龍安寺や近くの等持院はともに朝8時から拝観が可能なので、自分のように1カ所でも多く回りたい者にとってはじつに便利でありがたいスポット。2つのうち先に龍安寺に行くことにしたのは、朝の光の向きが龍安寺の方が向いていることと、年間80万人も訪れると言う名所ですから、朝イチで行った方がより静かに見られるかな…と考えたためです。
龍安寺がこれだけ有名になったのは、1975年にエリザベス女王が訪れて絶賛してくれたからのようです。桂離宮のタウトと言い薬師寺のフェノロサと言い、日本人は外国人の褒め言葉に左右され過ぎるきらいがありますね。確かに外国人の方が日本文化を客観的に見られる面はあると思いますが、あまりそれに引きずられると本質を見誤る可能性があります。それに例えば厳島神社を「日本のモン・サン=ミッシェル」などと言い表したりしてするのもちょっとアレかと思いますし、やはり日本人なら自分のもつ日本人の心の目で見るようにしたいですね。
龍安寺を訪れるにあたって、それなりに予習をしようと思ったけれど、この庭ほど「石庭の謎!」みたいな書かれ方をするのは珍しいですね。勝手に謎を吹っかけておいて、それを必死に解明するようなものもありました。例えば「石庭に置かれた15個の石はどの場所からも一度に見ることができない」として、そのように配置した意味を解明しようとしたり、「この庭には黄金分割が採用されている」とか、「西の壁は奥へ行くに従って高さが低くなっており、遠近法が使われている!」など。
そもそも庭石が一度に全部見える必要があるのかどうかと思いますし、また、黄金分割がどういうものかを考えたら「使われている!」と決めつけるのもちょっとおかしいですね。遠近法は確かに使われているかもしれないのですが、その効果はあまり感じられないほど東西の壁が離れていますし、西側の壁自体地面の処理から当初の位置と違う可能性があり、作庭意図とは無関係かもしれないわけです。審美眼を養ったり、あれこれ学んだりはしたいと思うけれど、あまりこういった表層的なものばかりに固執するのはどうかと思いますし、せっかくのお庭、もうちょっと自由に見てもいいですよね。
それでも、実際に訪れて石庭を眺めてみると、そういった説が出回る理由がちょっと分かるような気もしました。何と言うか、どうもバランスが悪いような気がするんです。そうすると「これには何かワケがあるはずだ」となるのかも知れず、それでも作庭者が判れば、ほかの作例から意図を推察できるんでしょうけれど、これがハッキリしないのもまた輪をかけているようです。
まず、東側の石組みが最も大きい割に隅っこにあり過ぎて窮屈な感じがしますが、これは勅使門が後からできて庭が少し削られてしまったためと言われています。ただ、それを差し引いても各石組みの力のバランスが弱いと言うか、ひとつひとつの石組みは悪くないんだけれども、全体としてもうひとつ捉えどころがない感じがしてなりません。もちろんこれは個人的な感想なので、評価として甚だ怪しいものですが、正面の油土塀の高さがとても低いのは、それぞれの石が低めだからというのもあるでしょうが、もしかしたらここはそれなりに高いところにありますし、以前は正面の木々が少なく、正伝寺とまでは行かなくても、雙ヶ岡が美しく望めたとか、借景があったのかも知れません。
なにしろこの日は「晴れているうちにできるだけ回ろう」と焦りがちで、水戸黄門様寄進の「吾、唯、足るを知る」つくばい(レプリカ)を見忘れたほどだったので、次回訪れる時には庭の内外をもうちょっとじっくり見て、龍安寺石庭本来の姿を想像してみるのもいいかも知れません。