雨城楊枝

京都でふれた日本文化たち

1月の30日から5日間、関西に行っておりました。


もともとはかみさんの正月の帰省なんですが、それに合わせて自分は四十九日を過ぎた祖母のお骨をお墓へ納めるなどのため、前半は別行動と言うわけです。そのため、新大阪までは一緒でしたが、かみさんはそこから特急くろしお号で和歌山へ、自分はそのまま姫路までのぞみ号に乗って、有年へと直行しました。

心配だった雨もやんでくれて、いささか駆け足気味で無事納骨を済ませたあと、大阪へ行くために有年駅へと戻ります。

有年

有年駅の橋上化工事

有年駅は現在画像のように橋上駅舎へと生まれ変わるべく工事中。駅の南側に通っている国道2号線が北側へ移ることに伴ったものだと思いますが、開業以来の兵庫県最古と言われる駅舎が消えてしまうのは何とも残念。しかもこの工事中の措置が何ともお粗末で、画像手前のホームから上り電車に乗るためには、古い駅舎から奥の跨線橋を渡って一旦まん中のホームに出て、手前の新たな跨線橋の階段を回り込んだ上でまた渡らされるハメになります。最終的にどんな形になるのかは分かりませんが、もう少しうまいやり方はなかったんでしょうか。そもそも橋上駅舎ってどっち方面に行くにしても必ず階段を使わなければならないうえ、何かで混みあうとボトルネックになってしまうので、都市圏ならいざしらず、ムリに橋上にする必要はないように思うんですけども。

大阪では一旦ホテルに寄り、チェックイン時刻まではまだ間があったため、荷物だけ預けて阪急電車で京都へ向かいます。今回の旅はこれから出会った文化びとたちのおかげでとても充実したものになりました。

Japan Handmade

じつは自分の従叔母(って言うんでしょうか)にあたる方が、老舗の呉服屋さんに嫁がれたとは聞いていて、どんなところだろうと興味はあったものの伺ったことはありませんでした。この機会に連絡してみたところ急な連絡にも関わらず、ショウルームや作業場を見学させて頂きました。このあたりは清明神社の西にあたり、利休の屋敷があったところなんだそうですね。

HOUSE of HOSOO

想像力の乏しい自分は、水戸黄門に出てくる呉服屋さんをイメージしていたんですが、とくにここは海外マーケットへの積極的なアプローチに取り組むコンセプトショウルームでした。伝統工芸の海外進出というと「ああ、国内ではもはやジリ貧だから」と思われるかも知れません。確かにそういった面はあるでしょうし、外国人の方が日本文化に対してよりニュートラルな捉え方ができる面もあります。しかし何より伝統の技術をショーケースにしまいこむのではなく、創意と工夫によって確実に発展させていくためには、継続的な発注が不可欠です。

こちらでは西陣織だけでなく、Japan Handmadeとして金網つじや木桶の中川木工芸、茶筒の開花堂などとタッグを組んで、伝統工芸の未来を模索していますが、素晴らしいのはそれぞれがとても若い世代であることです。何やら日本酒業界における広島魂志会やNEXT5を連想させますが、とても楽しみな存在です。

高倉

雨城楊枝

呉服屋さんのあと、料理屋で大学時代の旧友と会いました。彼は裏千家の業躰さんで、厳しい修行を積んだあと、お茶の心を広めるために日々全国を飛び回ってます。じつは今回の再会にあたって、お土産にと前もってあるものを準備していました。それはクロモジです。

雨城楊枝

クロモジとは、クスノキ科の木”クロモジ”の枝を削って作る楊枝のことで、独特の爽やかな香りが特徴。地元市原をはじめ、千葉の各地にクロモジ職人の方がおられるようですが、調べてみるとそれらはみな元を辿ると久留里の雨城楊枝へ繋がっているようです。

クロモジじたいは千葉以外でも作られていると思いますが、江戸時代の文献に「楊枝は上総地方で生産されたものが第一」と綴られているそうで、「このような地元の伝統工芸と、日本文化の伝道師として活躍する友人との橋渡しが出来たらどんなに素晴らしいだろう」と雨城楊枝の2代目森光慶氏に直接お願いして楊枝を作って頂きました。雨城とは久留里城の別名です。

雨城楊枝

クロモジはやはり制作直後が最も香り高いことから、わざわざ旅の直前に彫って頂き、最高の状態のものを渡すことができました。雨城楊枝については動画がここで観られます。また、制作体験教室もあるので、いずれチャレンジしてみるのも面白そうです。

友人とは料理屋を出たあと、少し歩いて、イスラエル人のヨラムさんが経営する日本酒バー「よらむ」に立ち寄り、彼が惚れ込んだ日本酒の数々を堪能しました。わずかなスペースとは言えすぐに満席となり、ここでも日本酒の流れを感じることができました。お隣のお客さんは中国の方のようでしたが、しきりにメモされている様子。中国の方がイスラエル人の店で熱心に日本酒を飲む…。いやぁ、深いです。

京都にはいつもそばに日本文化があります。ただ、いままではそれが「あたりまえ」あるいは「古いもの」としてしか捉えられなかったものが、よらむさんや、Japan Handmadeに賛同する外国ブランドによって「価値あるもの」として再定義されつつあります。この流れそのものは従来からセオリーではあったけれど、裾野がより広がっているんじゃないでしょうか。普段からもっとものの価値や本質を見極められるようになりたいものです。

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