平等院のあとは少し北上して醍醐寺を訪れました。
ここでの一番のお目当ては日本三名塔のひとつに挙げられている五重塔です。これは醍醐天皇の冥福を祈って朱雀天皇が発願、工事中断を経て20年後の951年に完成したもので、京都最古の建築です。醍醐寺は火災が多く、創建当時のものはほとんどが焼失してしまいましたが、この塔だけは奇跡的に被害を逃れました。それだけでも有り難い存在ですね。
全体の1/3を占める相輪によるものか、はたまた逓減率の妙ゆえか非常に高貴な雰囲気を持っています。
そのお隣には金堂があります。こちらも塔と同じく国宝に指定されていますが、秀吉の命によって紀伊湯浅の満願寺の本堂を移築、秀吉の死後1600年に完成したものです。本堂を持って行かれた満願寺はどうなったんでしょうね?以前はこの金堂を挟み込んだ回廊がロの字形に存在していたそうです。五重塔は回廊の外側にあり、伽藍としての体裁を持っていたようですが、なるほど今はポツポツと建っているためか、ひとつひとつの建物は素晴らしいんですが、全体の緊張感に欠けるような感じでちょっと残念ですね。とは言えどこもかしこも薬師寺のように伽藍復興をするのはムリですね。
醍醐寺の敷地は200万坪にも及ぶとされていますが、五重塔のなどのある下醍醐、ルーツである上醍醐、そして(ひと振りみこすり)三宝院と大きく3つに分類できます。上醍醐は山の上でちとしんどいので今回はあきらめ、三宝院を訪れましたが、ここがまた素晴らしかった。
有名な「醍醐の花見」の下見に訪れた秀吉は、三宝院の改修を決め、庭の設計などを自ら行なった…とされていますが、金ピカの茶室を作ったり、宮島のあの場所に千畳閣を建ててしまうような秀吉にそこまでの美的感覚があるわけがない!と言う気もするんですが、それはともかく撮影禁止が残念で仕方ないくらいの眺め。残念ながら工事のため池の水がすべて抜いてあったんですが、そんなことは微々たることでしかなく、表書院の建物とその襖絵も合わせてかなり見応えがありました。
ところで、ここ醍醐寺の霊宝館には、俵屋宗達の名作「舞楽図」があるんですが、いつでもオープンしているわけではないんですね。残念ながら見られませんでした。こればかりは法事にスケジュールを合わせていますんで仕方ありません。次回は上醍醐と一緒に見に来ようかと思います。
今回の広島ゆきの寄り道はこれでおしまい。結構あれこれと行きましたが、まだまだ行きたいところはたくさんあります。なかでも奈良は、秋に唐招提寺の金堂平成大修理落慶法要があり、2011年頃から今度は薬師寺東塔の解体修理が始まってしまうので、その間に行きたいところです。高速1000円を利用するのも良いけれど、法隆寺も久々に見たいし2~3泊してじっくり訪れたいですね。