薬師寺 西塔

奈良の旅~薬師寺

奈良の旅も2日目。快晴のなか、朝の渋滞にはまりつつ薬師寺に向かいます。


この日は「西ノ京」の日で、唐招提寺と薬師寺どちらを先に行くか考えましたが、解体修理に入ってしまう薬師寺東塔の写真を朝の空いてるうちに撮りたいとの思いから薬師寺を先にしました。

お寺の南にある駐車場にクルマを止めると先着はまだ3台程度、よしよしと思いつつ南門に向かいます。いよいよ近づいて左手を見上げると、見事に復元された回廊の奥に西岡棟梁の西塔がそびえ立ち「いや、これはすごい」と思わずため息。法隆寺の塔とはまた違った趣で、よりきらびやかに見えるのは、その彩色のせいもありますが、裳階も合わせて6つもの屋根にある二重の垂木断面と丸瓦が緻密なアクセントとして装飾のようになっているからでしょう。

しかし、そのまま右手を見て「ふぎゃーっ」と今度は悲鳴、なんとお目当ての東塔はすっかり足場にくるまれたお姿だったんです。

奈良の旅~薬師寺

「修理開始は来年以降じゃなかったの~」と思わず受付で聞いてみたところ、今回の足場は解体修理に向けての調査のためなのだそうで、10月末頃からくまれているとのこと。10月には既にあったのであれば、11月に入って金堂修理完了の落慶法要をした唐招提寺と同時にはどっちみち見られなかったかと思い直してみるものの、何とも残念。平城遷都1300年祭のオープンに合わせて一旦取り払われる可能性もあるとのお話ですが、そう都合良く何度も奈良に来られるかどうか…。

そんなわけで、予定を変更してひととおり写真を撮って、先に唐招提寺を見ることにしました。途中、東僧坊に飾ってある切り株を見物。薬師寺の伽藍復興にあたって国内にはもう使えるヒノキがなく、台湾まで購入しに行かなければならなかったと西岡棟梁の本にもありましたが、その樹齢2000年にもなるヒノキの切り株です。

奈良の旅~薬師寺

画像のように太い柱が何本もとれるんですね、のこぎりのなかった当時はこういった木を割って柱を作っていたそうです。

社寺建築に用いるヒノキ材は、こういった1000年を超える樹齢のものを使うんですが、樹齢だけでなく厳しい環境で育った年輪の目の細かい「目込材」を使うそうです。なるほど切り株の断面をよく見てみると目が詰まっていて、1センチあたり12本以上はあります。こういった材がもはや日本に残っていないのは残念ですし、今後の保存活動がちょっと不安ですね。それこそ薬師寺の白鳳伽藍の復興は最後のチャンスだったのかもしれません。

奈良の旅~薬師寺

薬師寺の復興伽藍を「単なるテーマパーク」と揶揄する人も中にはいるかも知れません。たしかに観光に訪れる立場のものからすればそういった「当時はこんな感じだったんだな~」という楽しみ方も実際できるわけですが、復興の根底に写経勧進という純粋な宗教活動があるうえ、堂塔を建てることじたい立派な宗教行為なので、少なくとも揶揄されるようなものではないと思います。
しかも金堂のようなちょっとイレギュラーなものもありますが、西岡棟梁による当時の方法で再建された建築群や、建築行為そのものは、今後の文化財保存や技術の伝承にとても大きな意味を持つものです。それもこれも今は足場にくるまれている東塔が創建以来こうして残ってくれたおかげかも知れないですね。

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