さて京都の旅を続けます。今回はお目当てのひとつだった法界寺さん。
法界寺は門の前にある立て札に「平安後期の永承6(1051)年、日野資業がこの地にあった日野家の山荘を寺に改めたことに始まる。」とあります。現在は国宝の阿弥陀堂と、明治時代に奈良の電燈寺の本堂を移築した薬師堂、庫裡くらいしか残っていませんが、平等院と同じく、当時の末法思想から日野一族によって七堂伽藍が整備されたそうです。
少し前に平等院の阿弥陀堂は創建当時桧皮葺だったようなことを耳にし、あの華麗な建築の創建当初の姿を見てみたい自分としては、建立時期がほぼ同じで、屋根の形式こそ違うものの桧皮葺、しかも平等院の阿弥陀堂と同じくまん中が一段上がった特徴的な裳階の形状を持つ法界寺阿弥陀堂が創建時の平等院を思い起こさせてくれるのではないかという期待が結構ありました。
結局のところ、あとで調べてみると創建時の平等院阿弥陀堂は桧皮葺ではなく木製の瓦だったそうですし、法界寺の阿弥陀堂にして創建時のものではなく、1226年の再建でした。それでも平等院や浄瑠璃寺の阿弥陀堂と並び称される法界寺のそれは素晴らしく、当時の勢力を知るには十分なものですし、蔀戸が住居のような雰囲気を与えるのと、裳階部分の吹き放ちがなんとなく招き入れてくれるようで、安心感を感じます。それに山本清一氏の本を読んだ時には影響されて瓦、瓦だったんですが、今は桧皮葺の資料なども読んだお陰で桧皮葺の作例を見てみたかったので満足です。
この阿弥陀堂は外見もいいですが、内部も素晴らしく、浄土を演出すべく四天柱には曼荼羅、内陣長押上の土壁には壁画が描かれています。この土壁に描かれた壁画は、法隆寺金堂のものが消失してしまった今となっては、唯一の遺構で大変貴重なものだとか。相当に薄くなってしまってはいますが、こうしていつでも見られるのはありがたいことです。
そしてこの阿弥陀堂の阿弥陀如来坐像、11世紀末頃の作品と言われ、国宝ですがこれがまた素晴らしい。事前に写真で見た時は結構ユーモラスな阿弥陀さんだと思ったんですが、直に見ると角度のせいでしょうか、かなりの箔が残っているそのお顔は何とも品があって優しげな表情。法界寺にはこのような2.8メートル級の阿弥陀さんが少なくとも5体はあったことが明らかになっており、残ったこの1体がどの経緯のものなのかは分からないそうですが、いいものを残してくれました。
法界寺、小さいながらもいいところでした。こういうお寺でいつも思うのは、長い歴史の中で堂塔を失ったり、土地を削られたりと、建物ひとつ残すのも簡単ではないんでしょうが、やはりできるだけ伽藍としての体裁を保ってもらいたい…ということでしょうか。例えば阿弥陀堂単体でもそれは素晴らしいものですが、他のお堂とどんなふうに関連して建っていたのか、またどんな考えで境内の中のその位置にあるのかをもっと感じてみたい思いがあるからです。でもそれが歴史と言うものなんでしょうね。
さて、法界寺をあとにしようと門に近づくと、屋根に様々な形の瓦が乗っていて楽しませてくれます。法界寺、宇治や醍醐寺方面に行かれる際はぜひおすすめのところです。