鞆の浦から明王院に戻り、また弥七に乗って尾道は浄土寺に向かいました。
浄土寺と言う名前は、以前訪ねた兵庫県小野市のお寺と同じで間違いやすいんですが、ここは正式には転法輪山大乗律院荘厳浄土寺というらしいです。明王院と同じく本堂と多宝塔が国宝に指定されており、さらに山門や阿弥陀堂、茶室など重要文化財も多く、これだけの狭い地域に重要な文化財が集中していることには驚かされます。
山門から外を眺めると眼下に尾道水道が広がりますが、その狭隘な土地ゆえか、参道階段の途中で山陽線をくぐって国道に出る面白い構造になっています。画像ではちょっと分かりづらいんですが、階段と山門の間にクルマ1台がやっと通れる細い道路があり、今回はそこを青海波号でヒヤヒヤしながら通りました。でもなかなか面白いロケーションなので、早朝などに来て写真を撮ってみたいですね。
さて、国宝の本堂ですが、堂々としてとても美しいたたずまいです。パッと見はわずか6年建立の早い明王院の本堂と印象が似ていますが、禅宗様が比較的濃く反映されていた明王院本堂より、横比率の大きいプロポーションに、軒反りもゆるやかになっています。
浄土寺の本堂も明王院同様、折衷様式の代表建築とされていますが、奈良の東大寺を手掛けた大工が造ったと言う記録があるそうです。つまり浄土寺の建築は、当代一流の大工が、山陽道の尾道までくることで東大寺のような格式から解き放たれ、また開放的で美しい尾道の自然に触発されて、自由闊達に様々な様式を取り入れながら自らの美意識を具現化したものと言えます。そしてその背景には、尾道と言う瀬戸内の交易によって得た富があったことも忘れてならないでしょう。
宮大工の松浦氏は、自身の著書「宮大工と歩く千年の古寺」で、自由な発想の成果として正面向拝のなまず垂木の採用と、この向拝があることによるバランスの修正のために棟木を6寸(約18センチ)前方へずらしていることなどを挙げています。どちらも相当に手間がかかることなのだそうですが、大工の美への追求心と、建物の美しさにおける屋根部の重要性がわかります。
これらの意気込みは多宝塔にもシッカリ反映されていて、非常に美しい姿をしています。また、内部の四天柱のうち2本を後退させて仏前を広くとるための工夫をしているそうです。
浄土寺には雪舟13代の孫、長谷川千柳作庭の庭園と、茶室の露滴庵、方丈などが昨年より「平成の大修理」に入っていて拝観できず、また眺望の素晴らしい奥の院があるんですが、時間(と体力)の関係からいけませんでした。大修理が5カ年だそうで、平成25年に終わるそうなので、またその頃にでも福山と合わせてユックリまわってみるのも良いかもしれませんね。