サードドライバーのデビッドソンと交代させられるかも知れないと言われていた中国GPにもちゃんと走っていた佐藤琢磨。日本GPでの無理な突っ込みがいまさらどうなるわけでもないが、来年も希望を持って応援するためにここで彼を擁護してみる。
今年は特に各チームのドライバー間の差が大きい。フェラーリしかり、ルノーしかり、マクラーレンしかり、そしてBARもだ。昔からチーム間の格差が大きいF1では、チームメートこそ最大のライバルと言われてきたが、チームメート同士の結果の差をそのままドライバーの力量差としてしまうのはちょっと短絡的だろう。
琢磨の場合、以前にもちょっと触れたが、マシンバランスのいい場合には他の多くのドライバーよりも攻め込めて結果をだせるが、マシンそのものの出来が悪い場合にコントロールする力量についてはまだまだのように感じてしまう。そのため、今年のようにマシンの出来がもうひとつの時は、そこそこのクルマでもそれなりに走らせられるバトンの長所ばかりが目立ってしまったようだ。
2001年「彼のテレメトリーをみてどん底に落とされたような気分だった」とクルサードに言わしめたハッキネンはマシンバランスに苦しみ、しばしばクルサードの後塵を拝する事になった。シーズンが進んでマシンバランスが改善されてくるとまた力を発揮したが、結局チャンピオンシップポイントでは大きく水を開けられてしまった。琢磨がハッキネンと同じとは言えないが、そう言った傾向が存在する事は考えられるだろう。
もうひとつ、興味深い事がトヨタチームから見受けられる。他チームと同様、トヨタにしてもトゥルーリが今シーズンチームメートのラルフを圧倒していた。しかし、クルマがTF105からTF105Bに変った(フロントサスペンションが大きく変わった)途端に状況は一変し、トゥルーリは全く精彩を欠いているし、それは本人のコメントからも伺える。逆にラルフは俄然輝き出し、天気の助けもあったが日本でポールを獲得した。
ここで考えられるのは、極限の性能に近づいた最近のF1マシンでは、大きく異なったドライビングスタイルを受け入れられるだけの余裕がないのではないだろうか。そのマシンに最適のセッティングの幅が狭くなっているのではないかという事。そして、どちらかのスタイルにしか合わせられないとき、例えばBARに於いて言えば、どうしてもバトン寄りのクルマになってしまうのではないかという事だ。
チームがドライバーの序列を表面では平等としていても、マシンがどちらかに合っていれば自ずと結果は出てしまう。今後ドライバーはそんな時でもスタイルを合わせ込んでいくなり、チームはスタイルの似た2人を起用するなどの方策をとったほうが良さそうだが、なかなか難しいところだろう。
これら2つの要素を考えたら、琢磨も環境さえ整えばまだまだやれるかも知れない。BARは強いチームだけれども、チームバトンで続けるよりは、実力は若干落ちてもファーストとして扱われればまた光るかもしれないのだ。そう、今季のクルサードのように。
しかし琢磨にももっと置かれた立場や状況を俯瞰して冷静に判断するようになって欲しい。押してダメなら引いてみな…、「スタイルを貫く」と突っぱねるのもいいが、プロのレーシングドライバーである以上は色々と試す事は必要だろう。F1と言えども結局はチームプレーなのだから。