薬師寺のあと、日没までにはまだ時間があるので平城宮跡に行くことにしました。
平城宮跡では1300年祭に合わせて大極殿が仕上げの段階に入っています。まだ塀に囲まれていて近づくことはできないんですがこうしてみると前面にはガラスがはめ込まれるのでしょうか?平城宮の資料館的役割を果たしそうな感じです。
ところでこの大極殿の地下にはコンクリートの免震構造が採用されているそうです。薬師寺金堂は西岡棟梁がコンクリートの部分だけうまく外せるようにしたらしいですが、基礎となると解体は逃れられないのでしょうか。コンクリートの空気含有量を減らすことで500年持つと言う話もありますが、それでもたった500年、その時上屋はどうなるんでしょう?震度”8″!などという規模になるとさすがにマズいでしょうが、元々きちんと作った和建築はそれほど地震には弱くないと思いますので、地震が来なかったとしても500年で解体が必要になる免震構造よりは、むしろ怖い強風が吹くとバーンと立ち上がる風よけの方が良さそう?
この免震構造ゆえかどうかは分かりませんが、総工費は200億円で、しかも第二次大極殿の復元の予定もあるとか。確かに技術伝承の観点からすればプラス面もありますが、それにしたって中途半端な設計ですし、そういうのは薬師寺や中金堂復元予定の興福寺ですれば良いことで、それよりも200億円あれば維持に苦しむ”ホンモノ”の文化財たちがどれだけ救われることか…。平城宮跡の復元はこの大極殿と朱雀門、そして東院庭園程度で打ち止めにしておくのがいいんじゃないかなーと思います。
薬師寺の場合は再建をしても、そこに宗教活動があるため建築たちが生きたものになるんですが、平城宮跡の場合ただの飾り…とまではいかないにしても、本来とは大きく異なった使われ方になるわけです。こうなるとテーマパークでしかなく、それ自体を否定するつもりはないんですが、そこに莫大な国費を…というのはちょっと問題があるかも知れません。
大極殿のあとは東院庭園に移動、ここは後の日本庭園の原形と考えられているそうです。シンプルですがいい感じのところで、これが後の寝殿造りにもつながっていくんでしょうか?ただ、洲浜の仕上げ具合か、手入れ具合か、発掘調査での不明部分が多いのか宮殿の庭にしてはちょっと荒涼感があるような気がします。でも庭園はいいですね、建物復元よりは維持しやすいでしょうか?きれいに残していきたいところです。
東院庭園のあとは朱雀門です。ここは70m幅もある朱雀大路も少し復元されていて、さらに門の向こうに大極殿も望めるので、なんとなく当時の空気感と言うか雰囲気を味わえるような気がします。でも朱雀門と大極殿の間には近鉄線が通っていて、ガーッと電車が横切って行くのもまた別の意味で凄いものがあります。最近は阪神電車も走るようになったんですね。
朱雀門はつい最近になって「実は単層建築だった?」などという説も出ているそうですが、予算をかけて作ったものが全然違う形だったとなればちょっとおマヌケですね。平城宮跡の発掘作業はまだ全体の1/3程度しか終わっていないとも言われ、今後総合的に解明されて行くことでしょう。
最後に資料館に立ち寄ろうとしたところ1300年祭に向けての準備でしょうか、休館中でした。1300年祭が始めると混むからと思って時期をずらしたのもありますが、逆にこういった弊害もありますね。ここでいよいよ日も暮れてきたので平城宮跡をあとにすることにしました。
さてここで横浜以来初めて給油、このあと信貴生駒スカイラインへ夜景を見に行きますがその前にちょっと腹ごしらえ。夜景前なのでムードを盛り上げるべく入ったのは”王将”。ま、毎回良い食事をするのもアレなのでこういう息抜きも大切です(笑。
信貴生駒スカイラインは2度目ですがやっぱりここの夜景はその光の量と言い、市街までの距離と言い日本一じゃないでしょうか?結構寒かったですが妻も喜んでくれたようで良かったです。信貴方終点から法隆寺前を通ってスーパーホテルに帰ってきました。
伊豆 地震
地震情報見てたら。。。。。
地震情報見てたら。。。。。今日だけでかなり伊豆半島が震源ですよね?これから大きい地震くるのかな?怖)(続きを読む)
わーっと、地震ですよー。
わーっと、地震ですよー。また、グラグラと来てます。地震ですよ。今日は、これで、何回