鳥取砂丘

ブルーとベージュの世界、鳥取砂丘

山陰の旅最終日は快晴!鳥取砂丘へ行く気分もあがろうというものです。

鳥取で泊まったホテルRESHは、鳥取駅に突き当たる通り沿いにあるんですが、100mにわたってにアーケードがかけられています。不思議な空間なので調べてみると、もともと片側2車線だった道路の車線を半分に減らしてフリースペースを作り、開閉可能なアーケードを設けてイベントも行なえるようにしたとか。約2年前にできたばかりだそうですが、地方都市もいろいろ考えてます。

鳥取駅前アーケード

鳥取砂丘へは鳥取駅前のバスターミナルから、ループ麒麟獅子号に乗って向かいます。鳥取砂丘ほどの知名度の高い観光地ですから、鳥取駅からは30分おきくらいにシャトルバスがでているかと思いきや、1日たったの12便。しかも始発は8時半過ぎと遅く、終バスも16時53分と夕日の名所の割にはアッサリ終了。ループバスゆえに砂丘帰りに使おうとすると遠回りされるし、「じゃあ、鳥取駅には戻らずそのまま空港にいくルートで」と思っても、空港のすぐ脇を通るにもかかわらず素通りしてしまいます。結局のところ、麒麟獅子号のない時間帯や、帰りは通常の路線バスを使うことになるわけですが、複数の時刻表を見比べないといけないし、鳥取にはすっかり「不便」の印象を持ってしまいました。

鳥取砂丘

麒麟獅子バスでは「鳥取砂丘バス停」まで行かず、手前の「砂丘センター展望台」で下車します。この展望台で全景をまず眺めて、リフトで降りていけば、一筆書きに回ることができます。

鳥取砂丘にはちょうど30年前に訪れたことがあり、あの時も往路は大阪まで寝台急行銀河でした。

鳥取砂丘

初めて経験する砂漠さながらの景色に感動したものでしたが、今回もまたベージュとブルーだけの世界にふたたび感動です。

残念ながら砂紋はあまりハッキリしたものは見られませんでしたが、ここにはプリミティブな楽しさがあります。

鳥取砂丘

鳥取砂丘が日本では2番目の大きさという豆知識は置いといて、ちょっと気になったのは、30年前と比べて砂丘が狭くなったような気がすること。幼い頃はなんでも大きく見えるものですが、15歳といえばすでに背丈もそれなりにあったはずで、調べてみると気のせいでもなさそうです。

鳥取砂丘

上の画像は1964年当時の鳥取砂丘(国土地理院)です。軍用地として利用されていた鳥取砂丘は、戦後国から払い下げられ、「砂丘保護」か「農地転用」かの論争の末、後者に決定。この使用条件が20年間変更できないことから、その間砂防林の植林を進めたそうです。

鳥取砂丘

その後、砂丘は保護の方針へと転換され、砂の移動を促進し、砂丘本来の景観を取り戻すために1972年と73年、そして82年にも木々を伐採。上の画像は1984年のもので、千代川の河口がすでに付け替えられており、自分はこの1年後に訪れることになります。

伐採をして、その効果も一部で認められたものの、その後も深刻な問題となっていくのが草原化と海岸侵食です。これらの因果関係も砂防林のほかに、千代川の河床砂礫採取による流出砂量の減少や、河口付け替えによる堆積の流れの変化、そして砂丘へのアクセス道路自体も砂の移動を止めてしまっているのではないかという意見もありさまざまです。

現在のGooglemapと見比べてみると、主に西側に砂地部分が緑になってしまっていて、これは古い写真の左上のものに写っている、奥の部分に当たるんじゃないでしょうか。

それでも「鳥取砂丘再生会議」のサイトによれば、砂丘全体に対する植生面積の割合は、1967年に24%だったものが1991年には42%にまで上ったものの、除草作業を進めた結果、2006年には20%を下回っているそうです。

鳥取砂丘

沖では作業中の船が見られましたが、こちらは海岸浸食対策でしょうか?自然とどう接するべきか、どのように共存していくかはもともと日本人はよくわかっていたはずだと思うんですけども、特徴ある景観が失われていくのは寂しいもの、成り行きを見守りたいと思います。

と、いろいろと考えることもありましたが、久々の鳥取砂丘、快晴で風もなく、お手軽に別世界が体験できて大満足。クールダウンに名産の梨を使ったシャーベットを食べ、砂の美術館の作品を横目に見つつ「砂丘東口バス停」へと向かって鳥取砂丘を後にしました。

鳥取砂丘

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