いざ、壇ノ浦 その六

山口から走破記録を更新しつつついに関門橋へ。

関門橋を渡り、いよいよ青海波号の九州初上陸、市原から門司港までは実に1110kmもの距離である。達成感があってけっこう嬉しい。

門司港ICを出て信号を右折、ひとつ目の信号をまた右折し、古城山のふもとを走ると1つめの画像の場所に出る。1185年3月24日の卯の刻(午前6時)頃、彦島を出た平家はこの田ノ浦あたりに陣を構え、源氏方は向かいの満珠島(矢印右)、干珠島付近に集結したと伝えられる。壇ノ浦の海は思いのほかきれいで、そこを流れる海流は当時のままだと言う。

古城山を回り込んで山頂に向かい、平知盛が源氏との合戦にそなえて、長門国目代紀井通資に築かせたと言われる門司城跡を訪れる。本州の更に先の六連島まで望めるが、知盛はここで何を思った事だろう。

山頂からの下り途中に第2展望台があり、そこには大きな源平合戦の壁画がある。これは、赤間神宮にある「安徳天皇縁起絵図」をもとに作成されたとの事。八艘飛びをする義経とそれを追う能登守教経、覚悟を決める二位の尼や安徳天皇が描かれている。

山から下りたあとは、関門橋のほぼ真下に位置する和布刈神社にお参り。ここは平家一門が闘い前夜に酒宴をしたところと言われる。戦勝を祈願したとも言われているが、結果はご存知のとおりで、この場合、ここのご利益と言うのはどういうふうに考えればいいんでしょう。逆に対岸下関にある、義経が祈願したと言う大歳神社にはそういう問題はないのだが…。

和布刈神社より最高10ノットを越える潮流が発生する早鞆の瀬戸をのぞむ。

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