ホテル川久 × Ford Fiesta

ホテル川久 × Ford Fiesta

帰省3日目はいよいよ和歌山へ向かい、嫁と合流します。

夜中に少しだけ雨が降ったらしいですが、この日もいい天気。

全通してまだ間もない第二京阪道から阪和道を経由して和歌山県は御坊を目指しますが、実家に行く前にちょっとだけ通り過ぎて、かねてより行ってみたかった白浜のホテル川久を訪ねます。

ホテル川久 × Ford Fiesta

ここはニッポン泡時代真っ只中の1991年、総工費約400億円かけて建造された会員制のホテルでしたが、1995年にあえなく倒産、北海道を拠点とするカラカミ観光に約30億円で買収され、一般的な者でも泊まれる中級ホテルとなって今に至ります。

設計は永田祐三氏、この建築に注ぎ込まれた尋常でないこだわりっぷりは健在で、世界中の技術遺産の宝庫となっています。1993年村野藤吾賞受賞。

まず目に飛び込んでくる鮮やかな黄色い瓦は、紫禁城とおなじ、瑠璃青磚廠製「老中黄」色の瑠璃瓦でその数47万枚。「老中黄」は本来皇帝以外使用が認められなかった色で、国外への提供は長い歴史でも初めてのことだとか。

撮影時にPLフィルターを装着したおかげで、その高貴な色合いが鮮やかに写し撮れました。一方、煉瓦は英IBSTOCK社製で73種類、140万個が使われているそうです。

ホテル川久 × Ford Fiesta

恐る恐る門をくぐりましたが、ホテルのスタッフはとても親切で、内部の見学を願い出たところ、快く承諾していただけて、パンフレットまで用意してくださいました。

ホテル川久

総工費の約10%が費やされたというエントランスホール。黄金の天井はフランスのアトリエ 、ロベール・ゴアール工房の金箔職人が10人掛かりで、5センチ角の金箔を1枚1枚手作業で張り付けたそうです。金の純度は22.5金で、陽にあたった時もっとも美しくロビーを照らす純度とされているそうです。

ホテル川久

床はローマンモザイクタイル。大理石とセガート、ガラスの組合せで、イタリアのフリウリ州モザイク学校の職人(アルチザン)が、1枚ずつ手作業で埋めていったものですが、驚きの平滑具合。「お客様のお洋服のお色を引き立たせるため」にモノトーン主体にしているそうです。
ところどころにわざとずらしたり、形を変えるなどの遊び心を発揮しているところがあるそうですが、見つけられませんでした。

石壁の石材は、音響効果に優れたフランス産石材「シライユ」と「ジューヌドバロール」。石のコーディネーター、ジル・ドラボー氏の監修によるもの。

ホテル川久

青い柱はかつてヨーロッパで発達したシュトックマルモ(石膏擬石技法)という技法を、左官職人の久住章氏がドイツに渡って習得、帰国後「花咲か団」を結成して約1年の訓練ののち仕上げたもの。外で造ったものを現場で繋ぎ合わせるそうですが、繋ぎ目は全くわかりません。

ラウンジのシャンデリアはアーノルド・ドゾ工房で作られたヴェニチアン・シャンデリア。壁面のモザイク画は、シリアで発見され、ニューヨーク・メトロポリタン美術館の鑑定で、2世紀に制作されたことが判明したというビザンチンモザイク画。他の場所と合わせて4枚ありますが、これは博物館級のものじゃないんでしょうか。

ホテル川久

さり気無く設置されているスタンウェイピアノは、クレモナ大聖堂にあるオリジナルのデザインを忠実に再現しているそうです。

ホテル川久

なんとエレベーターまで凝っていて、壁面にはブラジル産のブルーバフィア石を用い、床にはジル・コベール工房の寄木細工を配しています。

ホテル川久

2階廊下の陶板壁には、陶芸家、加藤元男氏の陶板がはめ込まれています。

立ち寄ってほんの少しの間フィエスタと撮れたらいいかと思っていたところ、結局すっかり長居してしまい、はやお昼時。せっかくなのでランチを食べていくことに。ここは1500円程度となかなかリーズナブルにランチがいただけます。

ホテル川久 × Ford Fiesta

帰り際にもちょっと撮影、左側の写真のRのついた軒天は土佐漆喰。ホールの柱と同様「花咲か団」の仕事で、塗り継ができないように50人がかりで1日で仕上げたそうです。

その奥の塔の上にある兎は、イギリスの彫刻家バリー・フラナガン氏によるブロンズ像で、ホテル川久のホスピタリティの象徴とされています。面白いのがその下のシマシマ状の壁で熱田神宮内にある信長塀と同じ構造を再現したもの。中に瓦を入れることにより燃えにくくなっているそうです。

ホテル川久

ほかにもまだまだ見所はあるそうですが、いつか実際にここに泊まって、客室などもじっくり鑑賞してみたいところ。今回は青空のもと、愛車Fiestaのちょっと良さげな写真も撮れて満足です。リーガロイヤルホテルの地下駐車場で1日寝かせたのも、洗車したての状態を温存しておきたかったからに他ありません。クルマと撮ってみたいホテルというと、あとは福岡のイル・パラッツォかな。

このあと嫁とは無事合流、川久のような独特の建築と撮るのも最高に楽しいですが、結構下のようなギャップ感もまた好きだったりします。

Ford Fiesta

千葉へはこの2日後に帰りました。新たにできた京奈和道と名阪国道を使いましたが、昔まだ館山道や阪和道が延びていなかった頃にくらべ、新名神やアクアラインの恩恵を含めると約100kmも短縮になったようです。

フィエスタもカタログ燃費を上回るリッター20kmくらいフツに記録してくれるので、余裕で無給油ですし、ソアラ以来のクルーズコントロールも便利でラクになったものです。それでも次回は冬場なので多分電車ですけども。

おわりに、ホテル川久を設計した永田祐三氏の言葉を紹介します。
「私はここ四十年間建築の設計に携わってきました。いつも新しい仕事に向かう時、なにか人々がすばらしいと思うような建築を実現しようとあれこれ画策をしてしまうのです。師匠の教えに従い表現過多にならないように、突飛な画策をめぐらさないように、自らに言い聞かせて仕事に臨むのですがなかなかうまくいきません。」

「私達現代の建築家なるものは、様式建築を否定し古典を踏襲することを忘れ、評価することすらせずに新しい思想を打ち立てては主義主張をくり返し、定着することなくまた新しい思想に飛びつき、創造という名のもとに実験をくり返してきました。その結果が現代の都市の顔なのです。伝統の伝承を忘れ、この国の美の原型までも放棄してしまいました。今になって、美の原型を見つけだそうとしても訓練と精神の伴わない目には見えません。」

京都仏教会会報 第75号 平成16年新年号掲載
永田建築研究所ウェブサイトより

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