いよいよ今回の旅のメインイベント、タウシュベツ川橋梁見学です。
前回にも書いた通り、天候によって見学ツアーを1日ずらし、時間も午前の部から早朝の部に変更したため、朝は3時起き、4時にはチェックアウトをして5時半の集合時刻を目指します。
帯広からツアーの拠点となっている糠平源泉郷の「ひがし大雪自然ガイドセンター」までは、約63kmと結構な距離がありますが、簡単な1本道の上に早朝ゆえ渋滞の心配もないので起きられさえすればこっちのもの。でも、あとから聞くところによると、帯広にもシッカリ渋滞はあって、午前の部の時間などはハマることも多いとか。
国道273号線はほぼ士幌線と並行しているため、途中、いくつか遺構に出会います。その多くがタウシュベツ川橋梁同様、アーチ型をしているそうですが、この第四音更川橋梁は中央部に鉄製ガーター橋が架けられていて、撤去をしたためこのような姿に。
集合場所へは参加者の皆さん早めに集まったとのことで、10分ほど早くツアーに出発。その分現地での時間が取れるというわけです。
参加者は2台のワンボックスに分乗、ドライバー兼ガイドさんの話を聞きつつ向かいます。地元新聞に「いよいよ見納めか」の記事が出て以来、参加希望者はうなぎのぼりだそうで、とくに今年に入ってからは土日はキャンセル待ちになる程なんだとか。土壇場で日程の変更ができたのはラッキーでした。
しばらく国道を北へ向かっていたクルマは、糠平湖の上流方の端を過ぎたあたりから林道に入りますが、この林道は途中士幌線路盤跡そのものになります。鬱蒼としてかつて列車が走っていたことすらにわかに信じがたいような光景です。
林道が再び路盤跡と分かれてしばらくすると駐車スペースがあり、クマを警戒しつつ車を降りて、また路盤跡を歩いていきます。写真はタウシュベツ川橋梁側から駐車スペース方向を見たものですが、倒木などで道としての体をなしていません。元行く予定だった前日はものすごい雨だったようで、通行の難儀が伺い知れます。
そして歩くこと5〜6分でしょうか、視界が急に開け、神秘の世界が広がります。
この雄大なロケーションこそが、タウシュベツ川橋梁の魅力をおおいに引き立てる役割をしています。こんな中を列車で旅したらどんなに素晴らしいだろうと、つい妄想してしまいますが、じつはかつてこの景色の中を列車が走っていたわけではありません。ここで少しおさらいです。
帯広を起点とする国鉄士幌線は、1939年に糠平〜十勝三股間が延伸開通、同時にタウシュベツ川橋梁も誕生しました。
当時は糠平湖はまだなく、士幌線は上のマップの赤いラインを走行していました。その後、十勝川水系開発の一環として糠平ダムが建設されることとなり、湖底に沈んでしまう士幌線は、糠平駅とともに緑のラインに付替となりました。
当時、ちょうど糠平ダムのふもと辺りにあったと言われる糠平源泉郷も現在の場所に移転を余儀なくされたことから、近年の八ッ場ダム〜吾妻線〜川原湯温泉関係と酷似しているでしょうか。
付替は1955年に行われ、この時点で旧線上にあったタウシュベツ川橋梁はお役御免となったわけです。
せっかく付替えた新線も、1978年には乗客数が一日平均約6人となったことから、糠平以北の運転を休止、そのまま再び列車が走ることはなく、1987年に廃止となりました。つまりタウシュベツ川橋梁が遺構となったのは今から30年でも39年でもなく、62年も前のことになります。
糠平ダムは1956年に竣工、発電用に水を利用する冬場は水位が下がってその姿を見られるものの、雪解け水が流れ込む5〜6月頃から水がたまり始め、秋頃には水没してしまうことから「幻の橋」と呼ばれるようになりました。
訪れたこの時期は、昨年であれば足元は水に浸かっていて、アーチが美しいメガネを描いていたのですが、どういうわけか今年はいまだこの状態。それでも橋近くまで水が来ているので、反射も見られる上に橋脚そばまで行くこともできます。
写真では小さく見えるタウシュベツ川橋梁ですが、そこは鉄道橋、実際に見ると予想以上に大きな構築物です。
62年もの間水没、凍結を繰り返してきたコンクリート構築物は、もはや画像のような状態。鉄筋の数といい、もともとの構造自体強固なものとは言えなかったのかもしれませんが、他のアーチ橋の遺構と比較しても、水没の影響が伺えるというものです。
画像はここ数年でとくに崩落の進んだ部分。ここから一気に…というのは十分考えられることで、「美しいアーチが見られるのも今年限りか」と言われる所以です。20年前に訪れることができていれば、きっともっとしっかりとした姿をしていたに違いありません。
今のところ保存に向けた動きなどはないようですが、確かにこれを保存となるとなかなか難しいように思います。ただ、あまりにも惜しいこの眺め。静かに成り行きを見守っていくより他ないんでしょうか。
振り向けば、湖底に広がる切り株の大群。よく見るとそのどれもがコンクリートの遺構とは対照的に原型をとどめており、面白い対比となっています。
45分間、あっという間の滞在時間でした。午前の部や午後の部では、未だに面影を残す幌加駅や他のアーチ橋を案内してもらえるのですが、時間が短めの早朝の部はここで終了。自分たちもこの日は帰らなくてはならないので、あまり時間はありません。
それでも最後に旧糠平駅跡に立ち寄ります。湖底に沈んでしまった方の糠平駅はなかなか資料がありませんが、こちらはインターネットを調べれば、数多くの現役時代の姿が見られ、往時を偲ぶことができます。
この辺りはこうしてまた自然に還っていこうとしていますが、士幌線が運んできた木材をはじめとした様々なものの恩恵は、間違いなく都市に住むものたちも受けていながら、次々に地方を使い捨ててしまう…釈然としない気持ちも残ったツアーでした。