福原京めぐり~頼盛邸跡

東福寺のあとは有馬道沿いに山を下り、家庭裁判所の先を右折、荒田八幡神社を訪れました。


ここ(上画像)と、近くにある宝地院(下画像)を含んだ一帯が清盛の異母弟である平頼盛の山荘があった場所と言われています。遷都の際にはまだ皇居が完成していなかったため、安徳天皇の行在所となりましたが、それは1日だけで翌日には清盛邸に移り、代わりに高倉上皇が入られたとされています。そのためか、荒田八幡神社の敷地内には「史跡安徳天皇行在所址」の石碑が「福原遷都八百年記念之碑」の石碑とともに建っています。昔の人は居を構える場所を見つける能力が非常に長けていましたから、ここもきっと一等地だったんでしょう。知ってか知らずか分かりませんが、周辺に住んでいる人がちょっと羨ましいなーと思ったりもしました。平頼盛については機会があればもうちょっと知りたい人物ではあります。

さていよいよ、今回の福原京めぐりも終わりに近づき、新開地まで戻ってきましたが、すぐ近くに厳島神社があるのでそれを最後にすることにしました。
1180年の福原遷都の際に広島の厳島神社をこの地に勧請したもので、福原京のまわりにここと、花隈、佐比江、西宮内、夢野、真野、渦輪の7つの地に勧請したため七弁天と呼ばれています。
他の弁天社が神社やお寺と併祀しているのにたいし、ここのみが独立していたため、渦輪にあった弁天社を合祀して存族しているそうです。広島の厳島神社は何かと「八」にこだわっているそうですが、やはり弁天だからなのか七つなんですね。
鳥居にちゃんと控柱がついているところが、芸が細かいです。

新開地駅を出たのが13時過ぎ、ほとんど午前中でまわり、駆け足でしたが天気も良かったですしとても楽しめました。これからはまた阪急電車に乗って宝塚南口へむかい、いよいよ千葉へ帰らないといけません。

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福原京めぐり~頼盛邸跡」への2件のフィードバック

  1. 昔神戸にすんでたんですが、
    こういった場所があったの、全然知らなかった。。。
    まあ当時は神社仏閣めぐりはあまり頭になかったんですがw
    今思えば京都も近いし、ほんともったいない。。。
    あ、5月の連休に結婚式で神戸、一晩だけいますw
    そのあとは広島へすっとんでいきまっす!

  2. >>べっちどん
    おお、神戸にもいたんですかー?なかなかね若いうちは…っていうか、お爺趣味よねぇ。それに女子で歴史好きはすくないよね。まあでも、同じ見るなら由来を知っていた方がたのしめるからちょっとインフォメーションセンターで資料貰っていくのもいいかも。

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