阪急梅田駅コンコースについて

大阪は梅田の阪急梅田駅、旧コンコースの取り壊しのニュースを見てから、何か書かなくては…と思いつつ今日まで来てしまった。
生まれてから12歳に父の転勤で東京に移るまで、阪急沿線に住み、その文化にどっぷりと浸かっていた小生は、関西に来る毎にわざわざ阪急電車に乗っては、沿線の独特の風景や建築を懐かしく思いながら楽しんでいた。しかしそんな阪急が少しずつ変わり始めたのは、やはり大震災が発端だっただろうか、JRの躍進による客離れがはじめだったか…、とにかく独特の雰囲気が希薄になり、しかもセンスも節操もない世界へと入り込んで行くようで、不安を覚えていたものだ。
京都線の特急電車以外はマルーン一色のはずであった車輌が次々に屋根を白く塗り始め、それ自体は大した事がないのだが、あるいはこれが今回の大愚行への始まりだったのかも知れない。ほどなく車内配色もおかしくなりはじめ、駅構内の放送や案内表示が「阪急電車」から「阪急電鉄」になった時にも随分違和感を覚えたものだった。そしてついに、阪急は梅田駅コンコース解体を発表してしまったのだ。
阪急梅田駅コンコースは、昭和初期の雰囲気を持つアーチ型の天井が特徴で、大型のシャンデリアやガラスモザイクの壁画が荘厳な雰囲気を醸し出す空間だ。この部分は平安神宮や明治神宮を手がけた伊東忠太氏が壁画からシャンデリアの意匠にまで携わったそうで、確かどこかで、あの安藤忠雄氏もここを思い出の場所として紹介していた覚えがある。もちろん小生にとっても大切な場所だ。解体の発表があってからというもの、カメラにその姿を収めようとする人が後を絶たないと言う。駅と言う役柄上多くの人々に出会いや別れなどの思い出を提供してきたはずで、それを全て消し去って出来上がる新しいビルになんの価値があるのだろうか。
あるいは経営の不振がここれらの迷走の原因なのだろうか。それ程までに日本の経済社会は分かりやすい変化を求めるのだろうか。「守り続ける事」の価値もどうか再認識してもらいたいと思う。なにが愛され、評価されているのかも知ってもらいたい。阪急には創始者小林一三氏の時から永年積み重ねてきたブランドや文化がある。これらは一朝一夕に得られるものではないとても価値あるものだが、信用と同じで失うときはあっという間だ。小林一三氏も確かに多くの開発をしてきたが、彼には哲学があった。すべきことと、してはいけないことをハッキリと認識していた。現在の阪急の内情も理解できなくもないが、なんとか思いとどまれなかったのだろうか。
ここに旧阪急梅田駅コンコースを残したい・・というブログがあります。微力ながらもお役に立てればと思います。
またぽむ吉さんの近代建築と書評中心のblogで、状況が詳しく伝えられています。

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阪急梅田駅コンコースについて」への5件のフィードバック

  1. え゛っ!取り壊しちゃうんですか、あれを!?
    うわぁショックだ…
    子供時代の懐かしい風景が、また一つ消えていくのかと思うと、なんともやるせない気持ちになります。

  2. 堕民さん>>
    古い木造建築が消えてしまうのはある意味仕方ないんですけども、大震災でもびくともしなかった良い建築をいとも簡単に破壊する…。いまだにバブルを夢見てるんでしょうかね。

  3. 素敵なのに・・・
    残念ですね。行ってみたいなって思いましたです。
    阪急線(?)も乗ってみたいですです。

  4. たよ>>
    いや~、行ってみてももうないのよ。ここでの教訓はですね、雰囲気が良くても古い建築などは(寺院はのぞく)早めに行っておく事。コレですね。特に都心部はいつなくなるかわからないですからね。

  5. イベント告知・お知らせ

    旧阪急梅田駅コンコースを残したい・・署名的コメント&TB集にご協力くださった方々に告知させていただいております。12/7(水) 付の大阪日日新聞に弊ブログのことが紹介されました。また、12/9(金) にはNHK総合19:30~の『大阪のこれから』という生番組に同ブログ有志

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