12日に父方の祖父が亡くなりました。
連絡の手違いなどで残念ながらお葬式には出席できませんでしたが、早めに行なわれた初七日に参列する事が出来ました。見た目はこれまでお変わらない宮島ですが、自分にとっての宮島は大きな節目を迎えた事になります。
享年96歳、半年前に行った時はまだまだ元気で、「こりゃ100まで大丈夫」と思っていたのですが、その後施設の移動があり、環境が変わってしまったせいか、体調を崩してしまったとのこと。
とても残念だけれど、お見舞いにいった時はいつも「宮島に帰りたい」と言ってましたから、やっと帰る事ができたんだなと少し慰められます。
一時期まったく行かなくなっていた宮島でしたが、ここ何年かはことあるごとに訪ね、祖父の顔を見て来られた事は自分なりに納得のいくものとなりました。
おじいちゃん、やすらかに。
今ここを覗いて知りました。おじーちゃん亡くなったんですね。残念です。
大切な人が逝ってしまう、その悲しみは私もよくわかります。
「死は遺された者のためにある」
あるドラマの中に出てくる言葉です。私はこの言葉に深く共感させられました。少々ドラマかぶれな気もなきにしもあらずですが、色々考えさせられるものがあって、心に響きました。
人は、身近な人や動物の命が天に昇ったときぐらいしか、「生きていること」の大切さやそれに対する感謝の気持ちを感じる機会がないように思います。悲しいことに普段はそんなことを感じないまま生活しているのがほとんどですよね。
だから、亡くなったときに「そこに存在してくれていた」ことにも感謝でき、また自分がこれから生きていくことに一生懸命になるんだと思います。
いなくなって初めて、こうすればよかった、ああすればよかったと、いろんな後悔がよぎったりもしますが、おじーちゃんが最期を迎える前に自分なりに納得できるものがあって、本当によかったですね。
なんか長々と書いてしまって、自分でも何を伝えたいのかわからなくなってしまいました。乱文ですみません。それではこのへんで・・・。
心からご冥福をお祈りします。
>>あねご
どもども、コメントありがとう。いくつなら亡くなってもいいというものはないんだけど、まあ96なら「納得できる」かなと言う思いはあるし、色々してあげてきた人ほど、思い入れのある分後悔と言うのは必ずしてしまうものかもしれない。
個人的にはできることをしてあげられたことと、敬意を忘れなかった事は良かったんじゃないかなと思ってます。あらためて血のつながりと言うものを感じる事が出来ました。