カレイからキロウへ、気を取り直して山を下りる。
大島内の一般道をしばらく進むと「亀老山展望台」の看板が。今度こそとばかりに左折。観光バスも通るためか道もよく整備されていて、先ほどのような不安感はゼロ。安心して駐車場までたどり着いた。駐車場から展望台の入り口はスグだ。
亀老山展望台は、有名な建築家、隈研吾氏の作品で、展望台でありながらその施設のほとんどが山に埋もれている事が特徴。
入り口にはカッコイイ案内板があって、「この展望台は南北2つのデッキ以外はほとんどが地中に埋設された世界にもまれな展望台です。唯一地上に顔を出したA・Bデッキからは日本3大潮流のうちの一つの来島海峡や西日本最高峰の石鎚山など、雄大な風景をのぞむことができます。また展望デッキBには「見る」ことの謎を説きあかすための3対の装置が配置され、単に風景を楽しむだけでなく、「見る」という行為そのものを考え直すことが可能です。」と記されている。
ARCHITECTURAL MAPでは、隈氏は「建築界には、建築が周囲の環境と調和していなくても(「切断」されていても)一つの作品として評価する風潮があって、そのようにしてできた自己中心的で威圧的な建築を非難したかった」とされている。
その環境が美しいから展望台を作るのであって、展望台を作る事によって、景観を破壊することはあってはならないという考え方に基づいたものだったというわけだ。
自己中心的で威圧的な建築…と言うと真っ先に六本木ヒルズが頭に浮かぶが、なるほどほぼ地下化する事によって目的は達成されていると同時に、独特の空間を生み出す事に成功している。
建築物と周りの環境との調和と言うのは永遠のテーマだとは思うのだが、我が国の風土としてはやはり環境に馴染む方向性が合っているのではないかと思う。ただ、その解決方法として地下化というのはちょっと変化球かも知れない。解答としては間違ってはいないが、真に環境に溶け込む素材やフォルムの追求をしているわけではないからだ。
また個人的な主観ではあるが、地下化と同時にコンクリートで固められた事から、なんとなくこの施設がダム、ひいては土砂採掘場のような山の爪痕を意識してしまって、少し寂しい空間に思えてしまうのだ。立体的で遊び心のある構成はカッコよくまた楽しいのだが、その点ちょっと惜しい。周りの草木が生い茂ってくるとまた感じ方も変わってくるだろうか?
山頂の展望の多くは、大昔から多くの人々がそこに立ち、美しい景色を堪能してきたと思われる。その変わらぬ美しい眺めを、山並みのシルエットを、先人と同じように味わいたいと言う意識が小生には強いためか、名残も無く開発されてしまったような印象のコンクリート施設は、いまひとつしっくりこなかった気がする。
とはいえ、隈氏の考え方そのものには共感できるものでるし、また、いろいろな場所が思慮の深い建築家の手にゆだねられるのは素晴らしい事だと思う。人を呼ぶためというだけでなく、その土地の未来を真剣に考えて自治体が建築家に依頼する流れができていくことを期待したい。