2019年夏の帰省旅は、9月4日から愛車Fiestaでいくことにしました。
Fiesta エコブーストで行くのは今回で2度目、鈴鹿あたりの新名神や第二京阪が開通したことによる新たなルートが楽しみでした。アクアラインや新東名、湯浅御坊道路の開通によって、昔と同じルートはもはや1割程度ではないでしょうか。
途中、できたばかりの鈴鹿PAで休憩、鈴鹿らしくジョーダンのF1マシンが展示されていました。
ちょうど翌月にF1観戦に行く予定だったので、荷物になる手土産は今のうちに買ってしまおうと、サーキット関連のお土産を購入、観戦当日の荷物の心配がなくなり、上手くやった!と思ったのも束の間、結局F1は台風で行くのを中止(F1自体は開催)、行ってもいないのに土産がある状態に。
その後順調に阪和自動車道に入り、海南ICで降ります。向かうのはこれまで何度も検討しながら行けずじまいだった長保寺さん。ところが国道42号線を南下中、行手にどす黒い雲が見え、長保寺に着く数分前からバケツをひっくり返したような土砂降り、駐車場で15分ほどやり過ごしてからの参拝となりました。
長保寺は、和歌山県は下津町にある古刹で、創建は平安時代にまで遡り、一条天皇の
勅願所として1000年より造営を始め、1017年に完成したとされています。鎌倉時代に伽藍は一新されますが、境内にあった文句によると「本堂・塔・大門と3つ揃って国宝である寺は奈良の法隆寺と長保寺だけ」のスゴいお寺です。江戸時代には紀州徳川家の菩提寺にもなりました。
最初に現れる国宝は軒が深く堂々とした佇まいの大門で1388年建立。3メートルにも及ぶ軒の出は、近年軒先の垂下や波打が目立つようになっていたことから、2011年より修理と葺替が行われ、桔木を新たに追加したほか、土葺を空葺として重さの軽減を図るなどかなりの手が入ったようです。鉄骨による補強もなされたそうで、長期的な観点では疑問が残りますが、重要な施工事例にはなるはずです。
門から奥へ進むと、写真のような白壁と石垣の風情ある風景に。左手には塔頭の福蔵院が残っていますが、右側の壁の中はほぼ更地、以前は別の塔頭があったのではないかと思います。
それにしても、ただでさえ高い気温に先ほどのスコールのおかげで蒸し風呂のような暑さです。そこへきてこの階段。
でもとても美しい石段です、何百年も変わっていないであろう景色が何物にも代えがたい財産です。
石段の上には各お堂が立ち並びます。こちらは本堂で1311年建立、和様を基本に桟唐戸や木鼻などに禅宗様を用いた折衷様式で、軒反りも美しく、厳粛な中にも気品が感じられるお堂です。禅宗様の様式は堂内がより顕著なようです。
本堂は記録に「上壇に移された」とあり、元々石段の下にあったお堂を移設ではなく、新たにこちらに建てられたようですが、その理由は兵火や門前を流れる宮川の氾濫などが挙げられるものの、ハッキリとしません。
本堂に向かって右手にあるのが多宝塔です。1357年建立で本堂より多少時代は下がるものの、こちらは純和様の外観です。小振りながら、大きな低減率に、キュッと絞られた上層から精緻で均整の取れた印象を与えますが、張りのある軒反りが緩めの屋根勾配と相まって、袖を広げた立ち雛のようにも見えます。
亀腹が小さいのもポイントですが、これだけでも十分多宝塔の原型を想像する事ができます。
美しく惚れ惚れする組物たち。1枚目の画像の通り、蟇股には精緻な彫物が施されています。
大門同様2011年に屋根葺替が行われましたが、建立時に作られた瓦に加え、さらに古い鎌倉後期のものが多く使用されていたことが判ったそうです。下壇にあった伽藍のものを流用したであれば、平安に遡りそうですし、前もって作っておくような事があったのでしょうか。
これほどの蒸し暑さがなければ、もう少しじっくり眺めたいところでしたが、ほどほどで退散、エアコンを最強にして御坊へと向かいました。