大津で訪ねたもう一ケ所は、源義仲の墓所であり、芭蕉ゆかり寺でもある義仲寺だ。
当時、この一帯は粟津ケ原と呼ばれ、寺の前の道は旧東海道、そのすぐわきにまで琵琶湖畔が迫っていたと言う。
1184年、源範頼、義経に攻め立てられた木曽義仲は、この地まで逃れてきたものの、馬が泥田に足をとられてしまい、身動きできなくなったところを、追ってきた敵に射抜かれ、首を掻き切られてしまった。享年31歳、将軍在位13日での最期、まさに朝日の落ちた場所である。
平家のように結果的に朝敵になってしまった場合は、墓所もとかく質素なものになりがちなのだが、その点ここはとてもに立派で風情があり、恵まれている。芭蕉が生前よりつねづね義仲に思いを寄せ「骸は木曽塚に送るべし」と遺言した事により、芭蕉の墓所ともなっていることも幸いしているのだろう。実際芭蕉の句碑も多く、その道の方々の参詣が絶えないそうだ。とはいえ、やはり芭蕉の訪れる前、江戸中期頃までは小さな塚でしかなかったらしい。
義仲寺の開門時間が9時のところ、8時半についてしまったので中に入れず、かといって9時から拝観していては、ユーノス500のミーティングに間に合わなくなってしまうので、じっくり味わうのはまた次回とし、9時前でも開いている入口わきの巴地蔵にだけお参りする事にした。