23日は神戸市兵庫区にある清盛塚十三重塔に立ち寄った。
この日は朝から新快速に乗って赤穂市の祖母宅を訪ね、戻る時に途中下車したもの。関西は関東に比べて日の入りが遅いため、こういう時はとても便利に感じる。
平清盛の残した業績と言えば、厳島神社の造営と、三十三間堂の寄進、音戸の瀬戸の開削、そしてここ大輪田泊の整備と、真偽はともかくどれもが圧倒的なスケールを持っているだけでなく、今なお我々に恩恵を与え続けている点で、もっともっと評価されるべきだと感じる。小学生の時に習った清盛と言えば、だらしない武家のわがまま棟梁といったところだったが、まったく敗者の扱いと言うのはかくもいい加減なものなのかと言いたくもなる。
しかし、この十三重塔をはじめ、清盛像や琵琶塚はとても立派なもので、すぐ目の前に架けられた橋が「きよもり橋」と名付けられている事からも、この土地の人々は少なくとも清盛の恩恵を忘れていないんだなぁと思った。清盛は、ここを日宋貿易の拠点とするために、私財を投じて大輪田泊に経ヶ島と呼ばれる人工島をつくり、港湾を形成。これが兵庫の津繁栄の礎となった。
清盛塚はもともと現在の場所から南西に11mのところにあったが、1923年の市電松原線敷設に伴う道路拡幅のため移転された。地元住民は計画に強く反発し、市に移転反対の陳情まで出したそうだ。1286年の銘があることから、長らく清盛の墓と信じられてきたが、この移転の際に発掘調査が行われた結果、清盛の墳墓ではなかったとされている。琵琶塚も、清盛塚の北西にあった前方後円墳がそう呼ばれていたそうで、1902年に有志が建てた石碑を、清盛塚の移設とともに現在の場所に移したものだ。
たいがいこの手の史跡は、忘れ去られている事が多いが、自分が写真を撮っている間にも、3人連れのおばさまがタクシーの運転手とともにお参りにきたのがちょっと嬉しかった。