さすが11月末、はやくも日が暮れかけてくるなか須磨寺を訪れました。
西舞子ではせっかく山を登ったので、海側には出ずにそのまま高丸ICから第二神明に乗って、須磨まで行くことにしました。須磨寺の駐車場も須磨ICから近いところにもあるのでラクですし、その後帰路につく時も便利というわけです。
須磨寺は上野山福祥寺というのが本来の名前だそうです。当日は紅葉が見事で、結構なにぎわいをみせていましたが、お目当てはやはり平家物語きってのハイライトを再現した源平の庭です。ここは学生時代にも訪れましたが、敦盛のいる部分が水面をイメージして青くされ、浜を追いかけてきた直実との区別がより明確になりました。武家のならいとは言え、わが子と同じ年頃の公達の命を奪うめぐり合わせになってしまった直実の悲しくも辛い心情が思い起こされます。
「そもそもいかなる人にてましまし候ふぞ。名乗らせ給へ。助け参らせん」
「さては汝に逢ふては名乗るまじいぞ。汝がためには好い敵ぞ。名乗らずとも首を取つて人に問へ。見知らうずるぞ」
その後直実は敦盛を弔うために高野山(現在の和歌山県高野町)に熊谷寺を建立、出家して仏門に入り名を蓮生坊としました。翌年には法然の門下となり念仏三昧院(光明寺)など各地に寺を建立しては念仏の功徳を説いてきかせたそうです。
境内には他に敦盛首塚や首洗いの池、その背後には義経腰掛けの松などがあり、宝物館には敦盛愛用と言われる青葉の笛の展示もあります。
須磨寺を出て商店街を歩くと、和菓子屋には敦盛団子ののぼりが。もちろん購入。
山陽電鉄の須磨寺駅付近には平重衡捕われの松跡があります。
西へ落ちて行く途中、重衡は乗っていた馬を射られてしまいます。そして供をしていた乳母子の後藤盛長にも裏切られて置き去りにされ(本来は主人に馬を提供する)、観念して自害を試みようとしますが生け捕りとなってしまうという無念の場所ですね。以前は松があったそうですが、商店街の邪魔になるとかで切られてしまったそうです。
数々の戦功を立てただけでなく、その人柄も賞賛されていながら、ここでは敦盛と比べてちょっと寂しい待遇といえなくもないですね。喫茶店のCAPIRAももうすこ~し敬意を払ってほしいな~と思いますが、ここまでおおっぴらに立てているという事は、もしかすると日頃の管理をしてくれているのかも知れません。
これで今回の史跡めぐりは終了ですが、これまでずっと行ってみたかったところがあり、最後に寄ってみることにしました。それは信貴生駒スカイラインで、ここからの眺めを一度味わってみたかったんです。
気晴らしをしたい時に、こんな山がスグ近くにある関西の人はとても羨ましいですね。このスカイラインはちょっと料金がお高いのが難点ですが、場所によっては奈良方も望めて最高です。当日はちょっとモヤっていたのが残念ですが、またカーンと乾いて晴れた日に来てみたいですね。