11日はいよいよ帰る日ですが、深夜割引を適用させるには、少なくとも3時を回ってから高速に乗らないと持て余してしまいます。
そこで、クルマはホテルに置かせて頂いたままとりあえず三宮に行くことにしました。この時間をどこで過ごすかはずっと迷っていたので、全然下調べができておらず、まずは三宮駅にあるインフォメーションセンターへ。ここで源平史跡に関するパンフレットや地図をもらい、にしむら珈琲店でモーニングのサラダセットを食べながら検討した結果、当初は須磨あたりでの一の谷古戦場関連も考えていたんですが、やっぱり福原京をめぐってみることにしました。
平家の史跡は2通りあって、一の谷や壇ノ浦などの古戦場を中心とした哀愁漂うシリーズと、三十三間堂や宮島、福原京など、平家の栄華と清盛の夢を想うシリーズ。自分は平家の中でもストレートに清盛を尊敬しているので、その夢を追うことにしました。
インフォメーションセンターで頂いたパンフレットの中で、「兵庫区歴史花街道」というのが今回とても役立ちました。エキゾチックな街としてのイメージが定着している神戸ですが、こういう資料もちゃんとあるもんなんですね。
三宮から地下鉄に乗って湊川公園で下車、湊川と言えば楠木正成ですが、ここはまっすぐ願成寺へ。願成寺には湊川で戦死した平通盛とその戦死を聞いて舟から身を投げた妻小宰相の局の供養塔があります。
願成寺からずっと北へ進むと、夢野熊野神社があります。ここは清盛が福原遷都の際に、皇城鎮護の神として紀州の熊野権現を勧請し祭祀したもの。とても奇麗にされていて、いまなお地元の人々に大切にされている感じが良かったですね。
この熊野神社からさらに北東に進むと、夢野八幡神社というのがあります。ちょっと分かりにくい場所にあるんですが、広いとは言えない境内からの見晴しはよく、清盛は福原京の建設にあたって、土地区画整理をするための基準点としてここから狼煙をあげ、それを目印に東西十町、南北十五町の条理の線引きをしたといわれています。同じような言い伝えがあとで紹介する平野祇園神社でも言われており、ちょっとどちらが正しいのかは分かりませんが、福原京建設を夢見た清盛は、ここで何を考えていたんでしょうか。
細い道路を挟んで鳥居の反対側は画像のようになっており、夢野八幡神社が以前はもっと広かったことが想像されますが、神社自体はかなりさびれており、いつ頃このようになったかなど詳しいことは分かりません。