広島県は呉市にあるミュージアムに旧日本海軍の戦艦大和の1/10スケールモデルが展示されているらしい。
その名も「大和ミュージアム」。元は呉市海事歴史科学館というらしい。(サイトはこちら)
しかしまあ、戦艦大和の象徴である46センチ主砲が何をするためのモノか…と考えたりするとなかなか難しいと言うか、軍艦なんてある意味非常にデリケートなものを、よくメインに据えてミュージアムをつくったものだと思う。
大和の模型なんて実に2億円もかかったというから、やはり呉市の人々にとっては難しい事よりも誇りの方が勝るんだろうな。まあ、横須賀に戦艦三笠も展示されている事だし、いいんじゃないでしょうか。
なんだかんだと言いながら、「じゃ、大和の模型見たくはないの?」と聞かれれば「全然見たい」(爆)やっぱり男の子ですものねー。
しかし、このモデル、以前に船の科学館にあったものとは別なんだろうか?映画「連合艦隊」の時にもモデルを作ったと聞いたような聞かなかったような…。
1/10と言うと、26.3メートルもあるわけだし、ミュージアム内には実物大の甲板を模した庭もあるという。どうせなら毎時0分に模型を出航させてぐるっとまわってこさせてほしい。昔つくった模型は作ったらいつも水に浮かべたいと思っていたけれど、ウォーターラインシリーズは浮かばないんですねぇ。船は浮かべてなんぼでしょ。(笑)
戦争というのはどう考えたって反対だが、不思議に思うのは同じ殺し合いなのに古い戦争ほど美しく語られがちなこと。第二次大戦を源平合戦のように語ったら非難される事請け合いだ。それと、チャップリンも言っていたけれど、人を一人殺せば犯罪者。戦争ならたくさん殺すほど英雄…。この矛盾こそ人間の持って生まれたものなのかもしれないですね。
僕も基本的には同じなんですけどね…。
渡辺清の「戦艦武蔵の最期」を読んで以来、無邪気に楽しめなくなりました。
実戦に投入されて沈められたと言うことは、そういう報告書調の言い回しでは表現し得ない、地獄絵図が間違いなくそこにあったわけで、やはりそのことを抜きには出来ないなあ、と言うのが僕の率直な感想です。
20世紀の終わりごろ、仕事で8月15日に靖国に行きました。
大和に乗艦して生き延びたご老人方が、当時の正装をして参拝に来ていました。
靖国について政治的には、そして宗教的にも、いろいろあります。
しかし、同じ釜の飯を食った仲間たちが、幾百人もそこで命を落とした、そのことを悼み(当時の概念に従えば)護国の鬼となり靖国に帰ってきた戦友に思いすることを、否定したり貶めては断じてならない、そう思います。
と同時に、そういう方々の心情を政治的・思想的に利用している政治家(いわゆるタカ派と呼ばれる、殆んどが戦後世代の連中)がいることが、腹立たしい限りです。
おお、惰眠さん、更新と同時でしたね(笑)
私も中学生の頃でしょうか、児島襄の「戦艦大和」や、阿川弘之の「軍艦長門の生涯」を読み、「戦艦武蔵の最期」も読んだと思います。兵器に興味があった一方で、きっと、当時の兵隊の気持ちになろうとしていたんですけど、非常に難しかったように思います。