これまでの人生で、これほどまでつらく、悲しい思いをしたのは初めてです。
考え得る最悪の、しかも避けることのできない日…それがついにきてしまいました。
6月30日は日曜日で、家族揃って部屋でユックリと過ごしていました。
めぐはとても元気そうで食欲もあり、この日もあとは夜10時半頃のおトイレ(の散歩)を残すのみでした。部屋の中をトコトコ歩き回っていためぐを、脚を悪くするといけないので、ケージに入れるとほどなく寝はじめ、嫁が風呂あがってきたので起こしておトイレに行くか、自分が風呂から出てからにするか考えていたところ、突然ガサガサッと言う音が…。
起きたかなと思って見ると様子が全然違っていて、ひどい痙攣を起こしていました。状態がどんどん悪くなるので慌てて抱き抱えて嫁を呼び、めぐの口にタオルを挟んで必死になだめますが、痙攣は6~7分くらい続いたでしょうか。その間嫁には病院へ電話をしてもらいました。新しい医者は夜間診療ができないので、以前の医者に電話を入れ、少し落ち着いたところでクルマに乗せて急行しました。
診察の間は幾分落ち着いていて、血液検査を済ませたあと、医者が「今日は入院です。点滴をすれば恐らく大丈夫なので、一旦お帰りください。明日連絡します。」とのことだったので、「ついていてあげたい」という気持ちを抑え、めぐに「しっかりね」と元気づけて病院を後にしましたが、結局それが最後の別れとなってしまいました。何も知らずに不安な朝を迎えたぼくらが朝ご飯を食べようとしている時、あの忌まわしい電話が鳴り、その時点でほぼ悟りました。点滴も功を奏さず、めぐは夜中にふたたび痙攣を引き起こしてしまい…7月1日、めぐの時間は永遠に止まってしまいました。腎不全による痙攣は、本人の自覚が全くなく、苦しくないらしいことがせめてもの救いです。
もっともっと世話をして面倒を見てあげたかった。夫婦ともにめぐが寝たきりになっても介護する覚悟はできていたのに、めぐは足が立たなくなるどころか、1ヶ月ほど前から見られたお漏らしでさえここ数日は皆無で、ペットシーツも最初に買った分が半分以上余っているほど、介護らしい介護はほとんどしていません。
つい1週間前も腎臓などの現状を把握するべく病院で検査をしましたが、院長もまず17歳であることに驚き、検査の数値を見ても「この数値で食欲があるのは奇蹟に近い、しかも若々しくてとても17歳の顔には見えない」と言ってくれていたので、「しばらくは大丈夫、何かあるとしてもまず食欲がなくなってから」と思っていました。
先日のエントリーで書いた腎臓ケアフードのBOSCHは段々食べなくなり、代替のスペシフィックも不発で一時は戸惑ったものの、アニモンダのウェットフードを導入すると、これまで以上に食欲が増し、併用したコバルジンやレンジアレン(リン吸着剤)のおかげか、少なくとも見た目には回復傾向に感じられました。でも血中点滴を施してもなお痙攣を繰り返してしまったのは、腎臓が数値以上に悪くなっていたのもあるでしょうけれど、やはり年齢による体全体の衰えも少なくなかったんだろうと思います。それでも我が家に来てくれた時のフィラリアに始まって、乳腺がん、子宮蓄膿症からくる腹膜炎などことごとく克服してよく頑張ってくれました。
看取ってあげられなかったのはとても残念です。でも誰もがスーっと安らかに亡くなっていくわけではありません。最期の姿を見せないことが、ぼくらのショックが最小限で済むようにというめぐの配慮だったのかも知れません。大型犬に近い体格でありながら17年以上も長生きしてくれたことや、仕事で大きな案件の契約が終わり、24時間自宅でたっぷりめぐの世話をしてあげられた5月6月を待っていてくれたこと、最後の1週間はとくに「まだまだいけそう」と思うほど元気な姿を見せてくれたこと、そして最後の日が日曜日で家族揃って楽しく過ごせたことなどは、ぼくらが「もっと~していればよかった」と悔いを残して悲しむことがないように、というめぐの優しさとしか思えないんです。
実際本当に優しい子でした。我が家へ来た翌年、産まれた4匹の仔犬への母親としての献身的な振舞いには感動したものでしたし、自分の子でなくとも親に捨てられた仔猫を介抱したり、水の溜まったU字溝に落ちて鳴いている子猫がいると、水に顔を突っ込んでくわえて助け出そうともしました。そしていつも思い出すのは、ぼくらが夫婦喧嘩をしていると、なぜか二人の間に割って入ってきてそれぞれの顔を交互にペロペロなめてくれること。すっかり気がゆるんで喧嘩をやめると、安心して部屋に帰っていくんです。
めぐは1997年の5月にこうして我が家に訪ねてきてくれました。本当によく来てくれたものです。この出会いから16年もの間、毎日その愛らしい表情に癒され、励まされて素晴らしい日々でした。
カミナリに弱いのと脱走癖が玉にきずでしたが、いまではいい思い出です。2009年に13歳になったのをきっかけに、それまで12年通い続けたF1観戦をやめてペットホテルに預けることを極力避けるなど、まさにめぐ中心の生活に切り替えて以来、めぐもそれに応えてくれるように楽しい思い出が増え、3度の御宿旅行も素敵な記憶として残っています。
以前から散歩の時はお姫様気取りで愛嬌を振りまくので、近所でも評判のアイドルでしたが、今年に入って脚が衰えてきてからは、知ってる人知らない人問わず、みんなに「頑張って!」と励まされました。大の風呂嫌いで、はじめはこまめに洗っていたものの、実は亡くなるまでの8年間、一切シャンプーなどしていませんでした。それでもいつも毛繕いをしているので、特に冬場は一緒に寝るとあたたかくて、柔らかい肌触りが気持ちよく、しかもとてもいい匂い。五感で幸せを感じたものです。
自宅勤務の自分は一緒にいすぎたためか、意識の奥底でいまだ状況が飲み込めず、散歩の時刻になると妙にそわそわしてしまいます。火葬の時でさえ、6時の終了予定時刻が7時にズレ込むとスタッフから聞いたとき、「(めぐが待ってるから)早く帰らなきゃ」という意識が動いてしまうほどで、感情や状況とバラバラな気持ちをどう整理していいのかまだ見えません。でも時間をかけても立ち直るつもりです。とりあえずフィルムスキャナーを買いました。これで銀塩時代のめぐの写真も取り込んで、フォトブックなど作ってみようと思います。
めぐ本当にありがとう、楽しかった日々は決して忘れない。でもお別れではなく、これからもずっとぼくらと一緒。いつもの抱っこができないのは寂しいけど、しばらくしてぼくらもこの世を去る時、また一緒に川になって寝たり散歩したりできるのを楽しみに。
何と言ったら良いか・・・
でも、めぐも幸せだったと思いますよ!
一生心に残る思い出も残してくれたし・・・
茶五どの、コメントありがとうございます。
第1回のうなぎオフに連れて行ったのが懐かしいです。
今年は安曇野無理かと思っていましたが、前向きに検討しますね。
僕も一度だけでも直接会えて心に残ってます。
安曇野の件も、ある意味めぐの優しさかも・・・?
うちのミュシャ君も突然糖尿になり、先週からインシュリン治療始めてます・・・
猫にも、先天性のものがあるなんて・・・
涙が止まらない・・・
FBで知り合って数ヶ月、メグちゃんに会った事もないし、自分より先に逝ってしまうのも分かっているつもりなんだけど・・・やっぱり家族がいなくなるのは辛い。他人事が他人事に思えないです。
メグちゃんの若い頃って全く顔が違いますね。今の優しい顏は山本さんの人柄が分かります・・・飼い主に似てくるって本当に思ってますし。最後まで心配かけない様にしているようなメグちゃんに再び涙・・・
ゆっくり、ゆっくり・・・思い出にして下さい。
茶五どの、なんと!それは心配です。
できるだけ元気に長く一緒にいられるように願っています。
富田さん、コメントわざわざありがとうございます。
自分たちにはまさに天使でした。毎日が幸せで、この日がずっと怖かったです。怖がるよりも今を楽しくと言い聞かせるんですが、なかなか。でもめぐのお陰で想像していたよりもはるかに早く立ち直れそうです。
富田さんもカムちゃんといい日々を。いつか勝浦で可愛いお顔にお目にかかりたいです。
犬は昔々飼っていました、スピッツベースの雑種で女の子
外飼いが当たり前で、鎖も常には付けて無くても問題にされない時代。
冬に買い物に出かけると店から出てくるまで表で
頭にこんもりと雪を載せて待っててくれました。
学校から帰る頃、表通りまで出て待っててくれる、とてもかわいい娘。
居なくなった時のショックはとても大きくて、それ以来犬は飼えません
猫ばかりで覚えているだけで・・・8匹・・・もっといたはず(多頭飼)
今でも庭の隅にお墓が有りますが、どれだか判らなくなってしまいました(笑
リンク先はCMですがかわいい犬だったので、なんとなく。
Ritzさん、犬の無垢で純粋なところが可愛くもあり、こうなった時には悲しみを倍増させる原因でもありますね。ペットロスからの立ち直り方は人それぞれだと思いますが、いまは次の子は考えていません。こんな日がまたあったら心臓止まってしまいそうです。
すみません、遅くなって。
心からお悔やみ申し上げます。
何時でしたか、鮎沢PAで残雪の中を散歩する姿を思い出しました。
愛する者を喪う辛さは・・・苦しいですね。
和尚様、ご無沙汰しています。コメントありがとうございます。
相当依存してたみたいで…、でもそろそろ気持ちを整理したいところです。