行き暮れて木の下蔭を宿とせば 花や今宵の主ならまし。
名乗らぬまま一の谷で散った平家の武将、平忠度(忠盛六男、清盛の末弟)の箙に結びつけてあったとされる句で、「旅ゆくうち日が暮れてしまいそうだ。桜の木蔭を宿とすれば、花が今夜のあるじということになるのだなあ。(花が自分をもてなしてくれる)」という意味だそうですが、その背景を思い合わせた時に、より一層深い意味が受け取れる歌ですね。文武に秀でた勇将の死に、敵も味方も哀惜の涙で袖を濡らさぬ者はいなかったと伝えられています。
その忠度を、今日から部屋に飾れるようになりました。
3枚つづきの浮世絵版画で、”最後の浮世絵師”と言われる小林清親の明治17年の作品です。
浮世絵は以前から「東海道五十三次」が好きで、いつかは広重の作品をなにかひとつ…と思っていましたが、あれこれと見ているうちに、忠度を題材にしたこの美しい作品に魅せられてしまいました。右端に書かれた句が冒頭で紹介した歌のようです。
いわゆる武者絵と言うと、いかにも歌舞伎調の人物中心のものが多いのですが、自分はどちらかと言うと風景画の色使いや空気感が好きだし、樹木や橋梁などの構築物が精密に描かれていることにも魅力を感じるので、この画はまさに一石二鳥と言うか、まさにツボの一品でした。
この画を眺め、後に訪れる平家の最期を思うと、胸の詰まるような思いもありますが、それよりもそこからくるある種の美しさに惹かれてしまいます。これから先、この画を見るたびに自分を勇気づけてくれる作品のような気がします。
じつはつい先日も、嫁が川上澄生の作品を手に入れたりと、我が家はちょっとしたアートブームですが、版画は他の絵画や美術品と違って比較的安価なのが嬉しいですね。