最古の民家、箱木千年家を訪ねる

最古の民家、箱木千年家を訪ねる

姫路から和歌山へ向かう途中、最古の民家と言われる箱木千年家に立ち寄りました。


山陽自動車道を三木東ICで降りて9kmほど山の中を走ると、箱木千年家はあります。見学料300円を払って入場、まず、その竪穴式住居のようなフォルムと、異質な存在感の土壁に「おおっ」と感嘆しますが、この箱木千年家、色々と気をつけなければならないところがあるようです。

箱木千年家はその工法などから14世紀、室町時代の建築とされ、1967年に重要文化財に指定されましたが、1977年に呑吐ダムの建設によって水没してしまうことから現在地への移築を余儀なくされ、その際に解体調査と建築当初(と思われる姿)に復元されました。

まず、数少ない民家の文化遺産を移築しなければならないような、ダム建設が行われたことに少し残念な思いもあるんですが、この復元の姿に色々と疑問がわきます。

箱木千年家

ひとつはその姿で、復元に際しては綿密な調査が行われたはずではあるものの、設計者の想像の範囲内であることも否定できません。実際この特徴的な土壁は、移築前の住宅には全く存在せず、あまりの変わりように当時は話題にもなったそうです。ただ、復元の設計担当者が、法隆寺の調査なども手がけていた浅野清という有名な建築学者だったために、誰も文句が言えなかったということらしい。(藤森照信×山口晃 日本建築集中講義 より)果たして後年、じつはもっと違う形でした…となった場合、どうなるんでしょう。

箱木千年家

つぎに材の加工について。木造建築ゆえに補修に伴う新材の導入は当然と言えますが、復元にあたって使われた新材への古色処理や当初材へのエポキシ系樹脂での保護、また、金属による補強など、これは建築関係者や民俗学研究者、行政、一般見学者など、立場によって賛否あることでしょう。個人的には、例えば仏像の金箔剥離を抑えるために行った処理が、結果的に災いになってしまった例もあり、新材は新材として余計な加工はせず、これからの何百年を生きればいいのではないかと考えますし、古材は手を入れた時点で古材としての価値を失ってしまうようにも思います。

箱木千年家

さいごに、この民家で人が住まなくなってしまったことについて。さすがにこの形に復元されてしまうと、もはや現代人が住むわけにはいかなくなりますが、移築前までは改築を重ねて実際に住んでいたそうです。人の営みによって成り立つ生きた建築文化がそこにあったわけですが、場所も違う、形も100%復元とは言い切れない、人も住んでいない…では、いわゆるそこらの資料館とどれだけ差があるのでしょうか。ということにもなりかねません。

箱木千年家

とくに個人的にはその建物が周りに対してどのように立っていたのか…というのも大事な建築要素かと思うので、たった70mといえど、湖に沈まなくなったからには高低差もそれなりにあるはずですし、残念に思います。

ところで、この土壁は構築物としての機能はないらしいです。屋根組みだけでほぼ成り立っていて、そんなところもやはり竪穴式住居からの発展途中という感じなのでしょうか。

箱木千年家

はつり面の美しい床板。でもこれが当初材、あるいは、そうでなくとも長年人と生活を共にして磨かれてきたものかどうかはちょっとわかりません。

箱木千年家

このあと近くの太山寺に行くつもりでしたが、すっかり時間がなくなってしまいました。これなら姫路市内にある古井家住宅に行っておいたほうが良かったかも知れないですね。

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